知っている人も多いと思うのだけれど、わっかの敷地は10年前までは「飛行場」だった。
その昔は多分森のようになっていたこのタテに細長い2町歩の土地を、こつこつ切り開いて開墾していったのが元の持ち主のNさんだ。
少しずつ、少しずつ木を切って、砂利を敷きつめた。平になった細長い草地を滑走路にして、ウルトラライトプレーンという小さな軽飛行機に乗って空を散歩するのが、Nさんの楽しみだった。
敷地の端に立つ、今ではカヌーやボート、自転車やさまざまな工具がぎっしり詰まったわっかの倉庫は、その軽飛行機の格納庫だった。だから、とっても目立つ赤と白のシマシマ模様。空からでもしっかりと分かるような鮮やかなコントラスト。
格納庫の隣りには、50坪もある体育館のような建物を作った。
電気も、水も無い土地に、モルタル壁の巨大な建築物を作るのは至難の業だ。モルタルと言うのは、セメントと砂利と水を練って作るもの。水道が無かったから、Nさんは80m離れた釧路川から根気よく水を運んでは、少しずつ建物を作っていった。
このモルタル壁の体育館様の建物は、Nさんが作った木彫りの鹿や器などの作品をぎっしりと展示した「エゾシカの博物館」だった。もっとも、原野の中の博物館で、訪れる人はまばらだったに違いないけれど、初めて見た時には展示物の数の多さに圧倒された。
シカと一緒に、無造作に何百も積まれていたブーメランも、一つ一つ丁寧に作られて、彩色が施されていた。このブーメランもNさんの趣味の一つだった。
当時も今も、Nさんは市街地のはずれに住宅があって、この博物館には住んではいなかったのだけれど、毎日、家からこの地に通っては、日がな草刈機を動かして、滑走路の整備をしたり、ブーメランや飛行機を飛ばしたり、制作に励んでいた。
そんなNさんの飛行場の横に、縁あって小さなログハウスを建てることになったのが私たち。
しかし今でこそ、定住者5軒の「大住宅街」となっているこの地も、私たちが家を建てることになった時には誰も住んでいる人はなく、当然、電気も水道も新たに引くことになった。
国道から我が家までは、町道である砂利道が400m。電線を引くのは電力会社にとっては至極簡単な工事であるはずだったのだけれど、我が家の手前に飛行場があるのが「問題」だった。
何しろ、小さいとは言え、運輸局の許可を取ったれっきとした飛行場。滑走路の入り口に電線があるというのは許されない。
仕方なく…電力会社にとっては仕方なく…私たちにとってはありがたいことに…電線はこの区間だけ、地下に埋設された。
そうして一年ほどの月日が流れ、Nさんはこの地を手放すことに決めた。
それで、今のわっかがある。
飛行機の入っていた格納庫は、倉庫に。
エゾシカの博物館だった建物は、中を改装してわっかのガイドハウスに。
滑走路だった土地は、畑や池やキャンプ場ができて、奥の方では少しずつ木も育ち、また森に還ろうとしている。もちろん、今となっては滑走路としての役目を果たすことは無い。
だけど、地下に埋設された電線はそのままだ。
わっかの前だけ、電線は無い。
ばーーんと開けた正面に、大好きなオブタツ山がそびえている。
この、遮るもののない眺めが密かにジマンだったりもした。
数日前。
秋空の広がる晴れた朝、突然に電力会社の車が3台やってきた。
「今日はこれから3本ほど電柱を立てる工事をしますから、よろしくお願いします」と、挨拶にやってきた。
全く、心の準備をするヒマも無いうちに、電線の埋まっているわっか前にどんどんと電柱を立てる準備を始めた。
光ケーブルを引くためだと言う。
そういえば、来年の「地デジ」化に向けて、難視聴区域の解消のため、町内全域に光ファイバー網を整備するというお知らせが、確かに先月来ていたのだった。
「地デジ」には興味の無い私たちも、ISDNがちょび~っとだけ早くなった上り260KBの「なんちゃってADSL回線」だったから、光回線にはやはり魅力を感じて、期限ギリギリに申込だけはしていた。
穴掘り建柱車が、ごりごりと電柱を立てるための穴を掘っていく。
ふいに、便利さと引き換えに失うものの大きさにたじろいだ。「やっぱり光回線にしなくてもいいから、電柱だけは立てないで下さい!この景色を壊さないで下さい!」
思わず作業員さんにそんなことを言いに行こうかと思ったのだけど、我が家の先にも住宅は何軒もある。私が申込を取り下げたところで、工事が止まるわけないのだった。
作業員さんは、私たちが家の前の砂利道を通るたびに、深々と頭を下げて、にこやかに、丁寧に作業を進めていく。
作業車が引き上げると、オブタツ山の左の裾野に、見慣れない大きな電柱が立っていた。どうしようもなく無粋で、風景の中にそこだけ際立って見えるような違和感。大体、この電柱という存在には、全く遠慮と言うものがない。
立ったばかりのこの電柱には、まだ電線はついていない。
けれど近いうちに、我が家から見てオブタツ山のちょうど頂上あたりに、空を分断する線が取り付けられるはずだ。
だから、これからは心の目で。
オブタツ山は無くなったわけじゃない。
いつもと変わらず、そこにある。
私には、それが、見える。
さなえ
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2010年9月20日月曜日
空の分断される日
2010年9月14日火曜日
気づけば、秋
草木が青々と茂る7月の北の大地…
って書いてから、あっという間に2ヶ月が過ぎて、北国の季節はすっかりと秋に。
長いことブログの更新が滞っていてゴメンナサイ。
暑い夏だった。
もちろん、猛暑日の続く本州の方からは、まだまだそんなものじゃないって言われるような気温には違いないのだけれど、それでも高温多湿には無縁の北の大地だから、ちょっとくらいの暑さでも身体にこたえる。
暑さだけじゃなくて、湿度にもまいった。
家の中の、およそ金属以外のありとあらゆるものがカビる。
気温の高い夏は、畑にも影響が現れた。
まず、蝶の大発生。まったく、青虫のためにキャベツを育てているんじゃないか、というような状況が生まれた。
けれど、発生したのは不気味なマイマイ蛾とかではなく、かわいらしいモンキチョウやモンシロチョウ、アゲハ蝶などで、色とりどりの蝶が乱舞している様は美しかった。
そして収穫期を迎えてみると、玉ねぎやジャガイモなど、冷涼な地が適地とされる野菜たちはどうも小ぶりなものが多く、地場産玉ねぎを買いに出かけてみると、一キロ100円の破格値で売られていた。大切に育てた野菜がこの値段では、全く生産者はやりきれないだろう。
秋の楽しみのひとつだった「トウモロコシ刈り」。近所の農園で毎年開催しているのだけれど、今年は暑さの続く中、早々に看板が立ち、あれよあれよと言う間に終わってしまった。気温が高かったせいで、成るのも早かったし、終わるのも早かった。
暑かったから、私もよく川へ出かけて泳いだ。
ボートやカヌーに乗りながら、何度も上陸してはぷかりぷかりと川流れ。
いつもの年は、事務所でやキッチンで室内作業が多いのに、こんなに川へお出かけする夏も珍しい。これは、この夏一番嬉しかったこと。
9月になり、それでも少しずつ秋らしくなってきたので、いつも通りスモモ採りに出かけた。
2週間くらい前に確認した時には、青い実がたくさんついていたスモモの木。
ところが、スモモ採りに出かけたこの日は、スモモの木にはただの一粒も実がついていない。あっちの木…こっちの木… 赤い実を求めて彷徨うけれどやっぱり出会えず。
大きな立派なスモモの木が何本も生えているコタンの管理人、ジュウヨウさんに聞いてみると、、、
「だめだ。今年はもう何週間も前に全部落ちてしまったよ。もちろん、熟す前にな」
もう跡形もないだろうよ、と諦めたように笑って教えてくれた。
諦めきれずに、大きなスモモの木を持つ友人に尋ねてみたけれど、こちらも、
「そういえば成ってない!まったく!」
もともとスモモは「なり年」と「不作の年」が交互にやってくるので、不作の年もあっておかしくない。けれど、どの木もどの木もぜ~んぶ、一粒もなっていないというのは、やはり異常なこと。
あまりの暑さに驚いて、実が全部落ちてしまったんだろうか。
天気ばかりは自然のことだから仕方ないよ。
そうは思ってみるものの、これが本当に「自然」?
人為的な影響が天気や気温にも及んでいるのではないかしらと、この「自然」という言葉に対してさえ、疑いの眼を向けてしまう今年の私だった。
でも、季節はすっかり秋。私の大好きな季節。
どこまでも続くような高い空と、澄み渡った空気の下、
摩周岳にも登ろう…
スモモはダメだったけど、山ブドウやコクワも採りに行こう…
和琴半島のオオウバユリはもう開いたかな…
今年こそ秋の湿原をカヌーで行きたいな…
さあ、秋はやりたいことがいっぱいだ!
楽しみ、楽しみ☆
さなえ
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