たっぷりと雪に包まれたにどむの里。
すっかり、しっかり冬景色。
それにしても、この時期の寒さは格別だ。12月だというのに、今年は既に-20℃を観測している。身体も寒さに慣れていないから堪える。一体「温暖化」というのは、何のことかと思う。
毎年やってくる年の瀬だけれど、今年はちょっと特別。
なぜなら、今年は初めて「鏡餅」を自分たちの手で搗いて迎えることにしたから。
そして今日は12月28日。
古くから、お餅を搗くのはこの日と決められている地域が多い。
末広がりの八のつく日であることや、29日は九(苦)のつく日として嫌われること、あまり遅くに飾るのは「一夜餅」と言って礼を失することになること、などがその理由。
薪ストーブにセットした羽釜に3段積み上げた蒸篭で、6臼分のお米を蒸す。息子の通う保育園で貸して頂いた臼と杵で、ぺったらこ、ぺったらこ、と搗く。
蒸し係、搗き手、手返し係、丸める係、集まった大人9人+小さな子ども達で交代しながらお餅を搗いていくと、自分の家でありながらしみじみといい空間なのだった。
「鏡餅」用には、米の粒がまだ残るくらい固めに搗いたお餅を使う。
食べる用のお餅は、柔らかくよく伸びるように搗きあげる。
なんていばって言うけれど、これは今回初めて知ったことであって、やってみて初めてなるほどなぁと身体に沁み込むことなのであった。
出来上がった6個の鏡餅は氷点下の外で急冷。
整列しているお餅は、どことなく雪だるまのようでもあり、かわいい。 鏡餅の3臼が終わると、後はこの日に食べる分と、熨して持ち帰る分。
搗きたてのお餅は美味しくて、いくらでも食べられる。
きなこ、あんこ、大根おろし、納豆、黒ゴマ。子ども達も競うように頬張っていた。
窓の外は穏やかな冬晴れ。
お餅つきの後は、皆で外に出て、弓で的当てを楽しんだ。
大人たちは弓道の弓矢を使って、子ども達は柳で作った小さな弓と、葦の矢で。
矢を射るごとに歓声が上がり、男たちは次第に本気に。。
童心に戻って、と言うべきか、狩猟民族の時代まで戻って、と言うべきかは意見が分かれるところだけれど、大人も子どもも楽しい年の瀬の1日となった。
神事、信仰、しきたり、慣わしなどとはほとほと無縁の家庭で育ったけれど、年を重ねるごとに、古くから伝わる物事の良さに気づかされる。
こうして、自分たちの手で搗きあげた鏡餅を古くから伝わる通り12月28日に供えることができたので、きっと良い年を迎えられそうだと思う。
あとは、あとは、家中の大掃除が終われば…。
さなえ
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ところで、ツイッターというものを始めてみました。
やり方が全然分かりません。
でもとりあえず、つぶやくことは出来るようになりました。
ツイッターをやっていない人も、つぶやきは見ることが出来ます。
http://twitter.com/sanae_wakka
北の大地のつぶやき、良かったら見てみてくださいね。
2010年12月29日水曜日
鏡餅
2010年12月11日土曜日
伐採木のプレゼント
12月の初め、毎月配られる町からの広報誌にはさまった一枚のお知らせが目に飛び込んできた。
「伐採木(雑木)をお譲りします」
ぺらりとはさまったその紙には、現在新築中の弟子屈中学校校舎の造成に伴い、予定地に生えていた木を伐採したこと、2mほどの長さにカットされた雑木が750~800本ほどあり、それを希望者に無料で配布すること、などが簡潔に書かれていた。
薪ストーブ暮らしの我々には、願ってもない朗報。
これは絶対に行かねばならぬと、お知らせの紙は目立つところに貼り付けて、配布の予定日時を待っていたのだった。
そして、昨日。
お知らせに書かれていた、配布の日。
記載された10時の5分ほど前に、会場の中学校グラウンドに行ってみましたらば、既にたくさんの人が集まっていたわけで… 我々の後からやってきた人たちも合わせ、その数ざっと100人くらい?圧倒的に「おじさま達」が優勢だけど、女の人もちらほらと。
でも…
800本÷100人 =1人8本??
件の雑木は、すり鉢場に低くなった土砂の滞積所とおぼしき一角に山積みになっている。直径30センチはあろうかという太いものから、数センチの細いものまでさまざま。種類ももちろんさまざま。
山積みになった雑木を前に、回ってきた受付簿を記入しながら皆でわいのわいの話していると、やがて町役場の人がやってきて、説明を始めた。
「皆さん、今日はお集まり頂きありがとうございます。
実はこれほどのたくさんの方に来て頂けるとは、全く予想しておりませんでしたので、正直我々も驚いております。
ここにあります木は、中学校の工事に伴い支障となる木を伐採したもので、当初はチップ工場への売却を検討しておりましたが、売却しても運搬費用を考えると結局赤字になるということでしたので、このような形で町民の皆さんに無料でお譲りすることにしたわけです」
役場の英断にパチパチパチと心の中で拍手を送っていると、続けて説明があった。
「公平を期するために、1世帯1名とさせて頂き、くじで番号を引いていただきます。番号順に入場しまして、まずは1名5本、1名5本の木を選んで頂き、全員が終わりましたら、残った木につきましてまた配布の方法を考えたいと思います。選んだ木につきましては、各自で運搬をお願いしますが、本日の運搬が難しい場合は、あちらの白樺の下に、各自分かるように置いて頂ければと思います」
空はぴかぴかの青空で、風もない。
おだやかな初冬の陽だまりの中で、くじが出来るのを待つ。
ガッテンと私は二人で来ていたけれど、くじは1枚。木は5本。
やがて、くじを手にした役場職員が現れて、運命の1枚をひいたらば、番号札は「10」。
運良く、最初に「入場」が許される15組の中に入れて頂くことができたのだけど…
結論を言ってしまうと、くじの番号はどうでもよかった。
順番どおりに入場したのは、最初の2群ほどであって、その後は、先に入った組の人たちや、先に入った組の友人達を手伝おうとする後の組の人たちや、運搬を諦めて帰ってしまった人たちなどが続出して、どうにも収拾がつかなくなってしまった。
おまけに、残った全員が5本ずつの木を運び出しても、まだ会場には最初とほとんど姿を変えていない雑木の山が残っていたのであって、
「おう、どんどん運んでもいいべや」
と誰ともなく言い出したものだから、もう本数を数えている人もなくなり、運べるだけ運ぼうという方針が暗黙の了解となっていった。
けれど会場の空気が殺伐としていたかというと、決してそんなことはなく、重い木を皆で協力して持ち上げたり、土手を登るのに苦労している人を助けたりして、和やかに、かつ確実に雑木の山は小さくなっていった。
もしここにあるのが雑木の山ではなくてジャガイモの山だったとして、もしここにいるのが「おじさま達」よりも「おばさま達」が多勢を占めていたとするならば、こんな風に穏やかな空気にはならなかったのだろうなぁ…
かつて毎年行っていた「いもほり会場」の、我も我も押すな押すなの戦闘さながらの状況を思い浮かべつつ、その様子を感心しながら眺める私だった。
それにしても、おじさま達の木を見る目は確かだ。
長さが揃えられ、枝も払われた雑木の山から、確実に「いい薪」を選んでいく。
私の手にした木を見ると、
「おぅ、そりゃぁナラだ。最高にいいぞ」
と声をかけてくれたり、
「ここにいいイタヤがあるど。これは炭にしたらナラと同じくらい最高なンだ、持って行ったらいいべや」
と「いい木」を選ぶ手伝いをしてくれたりする。
ちらりと一瞥しただけで樹種を判定できるのは、長年に渡って木と付き合ってきた経験なのだろうけれど、すごいなぁとただただ感心してしまう。
雑木の山には、シラカバ、ドロノキ、アカエゾ、ニレ、ナラ、ハンノキ、カラマツなどさまざまな種類の木があったのだけど、やはり薪として人気があるのは、火持ちがいいナラやニレなどの雑木。反対に人気が無いのは、腐りやすくて火持ちの悪いシラカバや、強い火力で短時間!のカラマツなど。
友人たちの運搬を手伝ったりもしつつ、1時間ほどかかって、ハイエースいっぱいの薪を積み込んだ。
ずいぶん小さくなった雑木の山には、まだカラマツばかりが(笑)たくさん残されていたけれど、私たちは悔いなく会場を後にした。
半日がかりで運んだ薪は、1週間分といったところ。
写真を撮っておこうと思ったのに、私が一緒に行った友人宅へ運搬の手伝いをしに行った1時間ほどの間に、働き者のガッテンの手によって、運んだ薪は全て切られ、割られ、積まれていた。
先日頂いた薪と合わせて、1か月分の薪が集まった。
来冬用の薪は、あと80日分、調達の必要あり。
さなえ
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2010年12月8日水曜日
漁港にて
なかなか雪がやってこない。
けれど、でっかい低気圧がやってきて、大雨はやって来たのであって。
「嵐の次の日は、漁港に行くといいことがある」
四方から聞こえてくるその「イイコト」を確かめに、この日私たちは車を走らせた。
曰く、
「嵐の次の日にオホーツクの砂浜行ったらよぉ、あれだ、ホタテ。いっぺぇ~落ちてるンだ?」
「海の荒れた日の翌日に、港の斜路んとこで、いっぱいサンマすくったんですよ~」
「冬だったら、砂浜にも落ちてるんだワ、魚」
などなど。
話を聞くたびに妄想はふくらみ、だけどなかなか時化の翌日にうまく出かけることが出来ないでいた。でも、大荒れの翌日のこの日は日曜日。しかもオフシーズン。
「今日でしょ」
「行くしかないっしょ」
いそいそと竿を車に積み込み、出発した。目指すは知床。
し~れとこ~でさっかな~つり~!
途中のホームセンターで、1,980円のタモ網とエサを購入。
海辺の道を快調に進む。
しかし波が高い。大丈夫だろうか…。 不安を感じつつも漁港に下りると、防波堤にぐるりと囲まれた漁港はどこまでも穏やかで、師走とは思えない陽だまりに、先客が何名か。
何を釣っているのかしらと近づくと、皆さん、背丈の倍はあろうかという太くて長いタモ網で、ワカサギほどの小さなチカをすくっているのであった。
しかも、エサは撒き餌。
獲物が何であるかを知らぬままこの地にやってきた我々は、早々にタモ網作戦を断念せざるをえなかった。1,980円のタモ網は、あまりにも短かったし、撒き餌もなかった。
しからば、竿だ。
そうだ、我々には竿がある。
そういうわけで、恐る恐る竿を出してみると、これが面白いほどに釣れるのだった。
糸の先に鈴なりになった疑似餌及びサシ餌に向かって、チカの集団が我先にと群がってくる。その様子をじっと岸壁から見ながら、頃合を見て竿を上げると、1~4匹のチカが釣れるのだ。
しかし何とも悲しいことに、我々の竿についた針はサンマを想定していたため、小さなチカの口には少し大きすぎた。
チカは何度も針先の餌にトライするのだけれど、針が大きくてうまく飲み込めない。さらに、肝心の竿が、釣手3人に対して1本しかない。そのため、チカが集団で群がっていて、なおかつ針もたくさんぶらぶらしているのに、どうも釣果の方は淡々ボチボチなのであった。 けれど、5歳になったばかりのシュウシュウにはそれでも充分過ぎる釣果で、真剣そのものの表情で竿を出したり、魚から針を外したり、しゃかりきに働いていた。
やがて、隣りで魚の大群を次々すくいあげている立派なタモ網のおじさま達から、魚のプレゼントがあり、クーラーボックスの中は一気に賑やかになった。
もうこの辺でよかろう。
夕食には充分過ぎるほどのチカがやってきた。
大満足の我々は帰路についたわけで。
めでたし、めでたし。
「魚がちっちぇ~から、針はずすの大変なんだ?」
さなえ
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2010年11月27日土曜日
思い出の料理
夏に長男のミチトが参加した「てしかが冒険隊アドベンチャーツーリング」は、子ども達が自転車に乗り、400kmほどの距離を1週間ほどかけて走破していくという教育委員会主催の事業だ。
1年生の小さな子ども達から、中学生の大人といってもいいほど大きな子ども達まで、同じ目的に向かってひたむきに自転車を漕ぐ姿に、私たちも大いに元気をもらっている。
この事業のすごいところは、もちろんその「走破距離」にもあるのだけれど、それだけではない。1日中、炎天下の中を漕ぎ続け、時には峠を越えて、疲れはてて今宵の宿にたどりつく… しかしそこは宿であって、宿でない。つまり、待っているのは大地であり、そこに布とポールで今宵の宿を「建設」し、食材の買出しに出かけ、各々の班で決めた料理を作り、ようやく食事にありつく。食事が終わったら当然の如く後片付けが待っているのであり、全てが終わって寝袋にもぐりこむのは夜10時を回っていることも多い。
自転車で旅をする若者には珍しくないキャンプでのツーリング。
しかし、小学生にとってはなかなかに得がたい体験であることは間違いない。もちろん、スタッフの方の力添えがあってのことなのだけれど、子ども達が自分の手で生活を創り出していくことに喜びを見出しているのは確かだ。
ミチトは今年6年生。冒険隊の事業は中学生でも参加できるのだけど、ミチトとしては今年が最後と決めているらしい。だから、2年生から、数ある冒険隊事業のほとんどに参加してきたその集大成ともいえる、今年のツーリングだった。
「ツーリングに行く前と行った後で、何か変わったことはありますか?」
幾度となく聞かれるこの質問だけど、残念ながら戻ってきたミチトの顔が真っ黒になっているということの他はあまりない。
子ども達の成長に欠かせない事業であっても、一朝一夕で劇的に変わるような「効果的」なものじゃないから。
けれど、今年のツーリングから戻った後、彼はすごく料理を作りたがるようになった。
学校がお休みの時は、必ず自分の朝ごはんを作る。
大好きな卵とチーズを使って、怪しげなチャーハンを作っているらしい。「うぉっ美味しい。もしかしてオレ天才?」とか言いながらニヤニヤと…。
時に勧めてくれる味見に関しては、丁重にお断りしている。
時にはその怪しげなチャーハンを弁当箱に詰めて、自転車で町へでかけることもある。私は楽チンだ。朝ごはんも昼ごはんも作らず、町へ送っていく必要もない。
その彼が、最近よく「今日の晩ご飯、オレに作らして」と言ってくる。
しかしそう言い出すのは決まって平日の夕方で、その頃には夕食の段取りはあらかた済んでいて、彼の希望の食材もないことが多い。
「今日はもうメニューが決まっているから、手伝いしてよ」と言うと、決まって「手伝いは嫌だ」とにべもない。全部任せてもらわなくちゃ嫌なのだそうだ。
そしたらもっと早く言ってよ~。
手伝いは嫌だとか言って、もぉ~う。
と私もブツブツ言ってみたりするけれど、その気持ちは何となく分かるンだな。
お手伝いは感謝はされるけど、驚いてくれたりはしないもの。
思えば私も小学生の頃はよく料理をしていた。
母は仕事があったから、決まって私の方が帰宅は早かった。帰ってきた母を驚かせようと、イロイロ作戦を考えたりするのが好きだった。
小学生の作る料理なんて、カレーかシチューが多いのだけど、一度思い立って「ミートローフ」に挑戦したことがあった。
母の持っている料理の本はあまり多くなかったけれど、表紙がぼろぼろになった時代がかった本が母と私のお気に入りだった。ベーコンやソーセージ、ヨーグルトから漬け物まで、さまざまな料理を指南してくれる。
その中に、いろいろなご家庭の自慢料理を紹介するページがあって、「ミートローフ」の作り方もそこで知った。
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「作りおきがきくので、子どものおべんとうのおかずに重宝しています。
ひき肉に、よくいためた玉ねぎのみじん切りを加え、牛乳にひたしたパン粉、卵、塩、こしょうを入れ、よくねりまぜます。ここでしょうゆを少々加えると、味がぐっとよくなります。
よくまざったら、グリンピースとさいの目に切ったチーズをまぜ、焼き型に入れて、テンピで焼き上げます。」
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しかしお料理を始めたばかりの小学生にとって、この文章は難解だった。
”ひき肉によくいためた玉ねぎのみじん切りを加え”
…ひき肉と玉ねぎの分量はどのくらい?
卵は何個?
さいの目に切ったチーズ… さいの目ってなんだべ。
テンピで焼くって、一体何分?
分量が書いていないのだから、適当にやるしかなかった。しかるに、この時に「適当」という分量を覚えたように思う。
書いてあるように材料をこねて、型に詰めて、ガスコンロで温めた天火オーヴンで美味しそうな香りが漂うまで焼いてみた。
前時代の天火オーヴンはとても重たいし、ガスコンロは火を使うので危ない。けれど、ミートローフはどうにかうまく焼きあがり、帰宅した母の驚いた顔を今でも覚えている。
そんなことを思い出したら、やっぱり任せてみるのも大事なことだと気がついた。
「今日、まだ時間が早いから夕ご飯、作ってみる?鍋の材料ならあるけど」
とミチトに聞いてみると、
「えっいいの?作る、作る!」
材料の切り方とか、鍋に入れる順番とか、出汁や調味料についてなど、
ついつい口を出しそうになるのを我慢しつつ見ているうちに、お鍋が出来上がった。
残念ながら写真を撮るのを忘れてしまったのだけど、美味しい醤油味の優しいお鍋に、日ごろの心無い言動を反省する秋の夜長であった・・・
ミートローフのレシピは、映画監督の須川栄三氏の妻、真理明美さんのもの。
ぼろぼろになったページはコピーして、今も私の手元にある。
そして誰も知らない思い出の料理は、今でも時々作って食卓に並べている。
(子ども達は「四角いハンバーグ」だと思っているケド)
今日のは人参とうずら卵入り!
さなえ
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にどむサイトまだ停滞中、ゴメンナサイ。
2010年11月16日火曜日
手作りパンのススメ
一年でいちばん静かな時間の流れる11月。
川へ出るにはもう寒く、紅葉はとっくに終わって木々は裸。山に登るには冬山装備が必要だし、そうかと言ってスキーやスノーシューを楽しむことは出来ない。
まことに中途半端なこの11月。
けれど、私は11月が好き。
裸の木々は寒々しいけれど、青空に映える。
すっかりと葉っぱが落ちた森は、お日様の光が落ち葉を照らし、透明で明るい。
それから、まだ師走の忙しさが届かないこの時期は、夏の間ご無沙汰していた友人達を訪ねたり、招いたりするのも楽しい。
そして、夏の間忙しいことを理由にやらなかったこと、やれなかったことをゆっくり楽しめるのも嬉しい。
そんなわけで、この頃は朝ごはんのパンも自家製に切り替わった。
朝ごはんのパン、と言ったけれど、これは主に「私の」朝ごはんのことで、ガッテンは朝ごはんは全く食べないし、長男のミチトは完全なる「ご飯党」でパンには見向きもしない。次男のシュウシュウは甘党だからパンはそれなりに食べてくれるけど、大食漢では無いのでほんのちょっぴりしか口にしない。それで私はと言うと、やっぱり朝はパンがいいのだ。
かくして、家族の基本である「同じ釜の飯を食う」という図式は、朝食においては成立が困難だ。何とかしたいなあと思いつつも、何ともならないままに15年の月日が経った。
そう、思い起こせば15年前この地に越してきた19歳の私は、何の技術も知識も無かったけれど、とにかく食事の材料を「買う」という行為に何か罪悪感のようなものを抱いていた。特に、素材じゃない加工品を買うことには激しく抵抗があって、調味料も食材も、最低限のものだけをシンプルに使い、料理していた。
今にして思えば、その動機はもしかしたら(ガッテンに怒られないように)とかいう、至って消極的な理由だったようにも思うのだけれど、とにかくがむしゃらに何でも作ってみた。
もちろんパンもその一つで、パンが食べたけりゃ作るしか選択肢がなかった(ような気がしていた)。
けれど、作ったことが無かったのでやり方が分からない。
隙間風の吹きすさぶ弟子屈のスーパーで、ようやく買い求めた「強力粉カメリヤ」の外袋に記されたおまけのようなレシピを何度も読み返しながら、せめて材料だけは正確にと思うのに、秤さえ持っていなかったので、お米用の計量カップを代用して、この作り方でいいのかと頭に?マークをたくさんつけながら1日がかりでパンを焼いていた。
時が経って、強力粉カメリヤは、北海道産小麦に替わった。
いろいろ勉強してパンの作り方もどうにか分かった。
1gまで計れるデジタルの秤がやってきて、計量偏重の時代も経験した。
そうして今、私が焼いている自家用のパンは、名づけて「適当パン」。
原点回帰とも言うべきこのパンは、
入れる材料もその時にあるもので、牛乳や卵も入れたり入れなかったり。
材料を秤で計量することもなく、
ベンチタイムはおろか、二次発酵さえも完全無視。
夕食の準備をしながら、合間に捏ねておいて、暖房しない寒い部屋に置いておくだけ。
朝起きたら、オーブンのスイッチを入れて、パン種を成形したら焼く。オーブンがまだ温まってなくても、そのうち温まるに違いないから放り込んじゃう。
いつもよりちょっぴり…そう、20分も早起きすれば、朝食には焼きたてのパンが食べられるんです!
ほかほかのパンをお皿に山盛り乗せて、起きてきた家族に声をかける。
「焼きたてのパンだよ~ほかほかだよ~」
手作りパンの嬉しいところは、もちろん焼きたての美味しさもあるけれど、それよりも添加物が入っていなくて、国産の小麦が原料であることが大きい。
だから、自家用パンは「適当パン」で充分、大満足。
書くまでもないかとは思ったのだけど、こんなパンでも興味のある人がいるかもしれないから、一応レシピを…。
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<自家用パン ドライイーストバージョン>
材料:
○国産小麦 500gくらい (カップ5杯くらい)
○砂糖 50gくらい (カレースプーンで2~3杯くらい)
○塩 小さじ1くらい
○水分 350ccくらい (卵、牛乳、水 など)
○ドライイースト 大さじ1くらい
○バター 適当 (オリーブ油でもOK)
作り方:
①バター以外の材料をこねる。
②滑らかになったら、バターを入れて、さらにこねる。
③ひとまとまりになったら、ボールに入れ、乾燥しないようにぴったりラップで覆って一晩涼しいところに置く。
④好みの形に成形して(丸めたり、田舎パン風にひとまとまりにしたり、食パン型に入れることもある)、180℃のオーブンで15~25分焼いて出来上がり。
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ところで、今ニュースでは何かと話題のTPP(※)だけれど、これが正式に決まると北海道の農業は壊滅的な打撃と言われている。
先日の北海道新聞には、北海道の試算として、こんなデータが載っていた。
<日本がTPPに参加した場合の道内農業への影響> 単位:億円
現在の生産額 → TPP後の生産額
コ メ 1255 → 125(90%減)
小 麦 418 → 0
テン菜 492 → 0
でんぷん 160 → 0
酪 農 3502 → 966(72%減)
肉用牛 587 → 104(82%減)
豚 344 → 0
(現在の生産額は2008年の値、TPP後の生産額は、TPPで関税が撤廃された場合の生産額の試算)
小麦、テン菜、でんぷん原料のジャガイモなどは、輸入品とは差別化が難しい上に価格差が大きく、TPP参加で真っ先に影響を受け、壊滅状態に追い込まれるとされている。
北海道内では、農業団体はもちろん経済団体や消費者協会など、あらゆる団体がこぞってTPP反対を掲げているけれど、TPP参加という流れが止まることはないだろうと思う。
だからこれからは、自治体・地域コミュニティー・家族などの小さな単位での「自給」というものを真剣に考えてみる必要があるんじゃないかな。
だって、せっかくパンを焼くんだもの、やっぱ道産小麦がいいっしょ。
さて、「焼きたてパンだよ~ほかほかだよ~」
私の呼びかけがどうなったかと言うと、
「おぅ」と言ったけど食べない1名、
「えっ?ご飯はないの?」1名、
「シュウシュウはチョットでいい」1名、でしたっ。やっぱりね!
さなえ
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にどむサイト停滞中、ゴメンナサイ。
※TPP: 環太平洋パートナーシップ協定
協定を結んだ国同士での貿易を自由化するというもの。例外を設けない全ての品目で関税を撤廃し、自由化を促進する。貿易自由化の優等生とか呼ばれているらしい。
2010年10月27日水曜日
動けば変わる。
その工事の計画を知ったのは一昨年のこと。
「弟子屈の街中を流れる釧路川を、100年に一度の洪水に備えて2メートル掘削する」
大工事の計画だった。
弟子屈は水のまち。
大きな屈斜路湖があり、美しい摩周湖がある。
川湯温泉や摩周温泉、和琴温泉、数え切れないほどたくさんの温泉が湧き出ている。
美味しい水もたくさん。
わっかを支える命の水も、地下76mから自噴している地下水。
水の流れは複雑で目には見えないけれど、全ての流れはつながっているのだ、と思う。
工事計画で掘削する予定の箇所には、弟子屈(てしかが)の町名の由来ともなった岩盤(てしか)がある。この掘削をこのまま進めれば、地下の水脈に多大な影響を与えるだろうと危機感を抱いた。
そしてこのままでは大変だと動き始めてから1年以上。
町内の家々を回り、工事のことを知ってもらうためのビラを配り、
賛同者を募り、アンケートを書いてもらい、
スイスから帰国中の近自然工法の専門家・山脇さんを招いての「川づくりを学ぶ」講演会を開き…
というところまではこのブログにも書いた。
でその後どうしたかと言うと、この丸1年は何度も開発局と意見交換を行ってきた。
私たちの想いを伝え、どのような川づくりが出来るか同じ場で考える。
シンプルな方法だけど、やはり会って伝えるのが一番。
そうして動き始めて、
活動を始めた最初の頃は、私たちを「工事反対派」と思っていた人たちにも、少しずつ声が届いたように思う。
私たちは、工事に反対はしていない。
治水は大事だけれど、掘削以外の方法は本当にないのか。
地下水脈への影響が心配だ。
これらは繰り返し伝えてきたことでもある。
春。
しばらく停滞していた「弟子屈地区川づくり検討会」が久しぶりに開かれた。
この「弟子屈地区川づくり検討会」というのは、工事案を検討するために作られた会で、流域の自治会長や関係団体の長など24名の委員で構成されている。
この場で提示された開発局の「最終」案。
傍聴席の私たちにはこの案の内容は見えなかったのだけれど、後日見せて頂いたものは、以前のものとほとんど…一部変わっているけれど、ほとんど…同じ内容だった。
いろいろな意見が出されたのだけれど、会の最後に、今まで中心となって工事を推進してきた役場のM課長が立ち上がり、発言した。
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「町は今までオブザーバーという立場でしたので、
川づくりに関する意見は差し控えてきましたが、
本来この事業は21年度中に着工するものでした。
それが出来なかったと言うことで、町としても非常に残念に思っております。
私ども町としては、町民の生命財産を守るのが第一であります。
しかし、一方で昔の川に戻してほしいという要望も強くあります。
やはり、治水を確保しながら、昔の川に戻すということが要望であると思います。
また、100年に一度の洪水と言われるが、今この少子高齢化の時代ですから、
今後は中心地の将来像が大きく変わってくることも予想されます。
100年先のことははっきり言って町としても分からないです。
ぜひ計画案では議論の余地を残してほしいのです。
分かりにくいかもしれませんが、100年先のことまで考えて工事をするのではなく、
もう少し短いスパンでの結論をお願いしたいということです。
つまり、何年スパンか分かりませんが段階的に計画を作って頂きたいのです。
河床の掘削に関しても、町としてはなるべく浅くして頂きたい。
親水性に富んだ川にしてほしいと思います。
それと拡幅に関しても、開発局の言われる空き地だけでなく、
『空き家についてももっと検討』して頂きたい。
(※注:空き家が将来的に更地になる可能性、また空き家を買収して更地にする
可能性、などを考慮してほしい)
100年スパンは読めませんから、中期的に見直しをする場をぜひ設けてください。
また、町内にはブロックの破損が22箇所あるということで、
早急に着工が必要であると思っております。
また河川沿岸の住民にとって、この工事が悲願であることも重々承知しております。
あくまで治水主眼であることは変わりはないのですが、
今後は観光資源としても活用できるような川づくりをお願いしたい。
そういったことを踏まえまして、
次回、私を含めた素人にも分かりやすい形での再図面をお願いします。
昨年、政権が変わりまして、新規事業はなかなか採択になりません。
そんな中で、開発局の皆さんには本当によくやって頂いていると、
改めて感謝を申し上げます。
今の現状では、上流、街の中、下流と、川の風景が違いすぎます。
もう少し緑を…というか、あ、町に入ったなと思う程度の風景の違いにして
頂ければと思います」
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開発局には衝撃が走り、課長の言葉を書き取る私のペンが震えた。
私たちの想いが町政に届いた瞬間だった。
この後も、開発局と何度も意見交換を行う。
開発局にもいろいろと事情はあろう。
けれど、その中でも何とか良い川を作りたいと、私たちの話に真摯に耳を傾けてくれた。
最初は、100年に一度の洪水に備えて、川底を一律に2メートル掘削するはずだった工事。
話し合いを重ねる中で、工事案は少しずつ変化していった。
そうして最終的に決まった案は、
● 100年に一度の洪水ではなく、昭和35年に起こった洪水規模に対応できる治水工事にする。
● 一律に2メートル掘るのではなく、平均1メートル程度の掘削にする。
● 川底も、川のインコースは浅く、アウトコースを深くするような変化に富んだ河床にし、場所によっては2メートル近く掘るところもあるが、全く掘らずにそのままにする箇所もある。
● 町名の由来ともなった「テッシ岩」については、なるべく残すような形で、岩を露出させて工事する。
● 工事の内容については、毎年細部の微調整をして、見直すごとに町民の意見を聞く。
● 工事は、流量の少ない冬季に行い、10年計画で整備していく。
この最終案は、
今年の8月31日、町民を対象とした「川づくり説明会」が開かれ、その場で了承された。
早ければ、この12月頃から川の工事が始まる。
今でも、地下水脈に与える影響についての懸念が完全に払拭されたわけではない。
工事の必要性についても完全に納得したわけではない。
けれど、
私たちが動いたことは無駄ではなかったと確信している。
このような大きな公共事業で、途中で見直しをすることを明言するということは、
ほとんどありえないことだと聞いた。
動けば、変わる。
それを実感した1年だった。
支え、応援してくれた全ての人に感謝をこめて。
ありがとう!
さなえ
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2010年10月11日月曜日
ありがとう、雌阿寒岳
その山は、阿寒の深い森を見守るようにどっしりとそびえている。
いつかは登ってみたいと思っていたのだけれど、近くにいるからといってほいほいと気軽に登れるようなものでもなく、いつかいつかと思っているうちに随分と時間が経ってしまった。
オンネトーに映る山影も美しい、秋の雌阿寒岳。
10月7日。もう忙しさのピークは越えた10月とは言え、晴天の日を選んで登るということは無理だったので、雌阿寒岳に行く日はこの日と決めて、後はいつもの「晴天予約」でお祈りした。
だから、いいお天気!
澄んだ秋空の日に山に登れるというだけですごく幸せなことなのだけど、もう何年も摩周岳しか登ったことのない私は、山が見えてきただけで緊張して胸がドキドキしていた。
活火山であるこの山は、最初は深い苔むしたアカエゾマツの森からスタートするのだけれど、踏み固められた根っこの道を進んでいくと、やがて背の低いハイマツの続くエリアに入る。
遠くに見えるオンネトーや、眼下に広がる深い阿寒の森。
時折、雲海がやってきては、また過ぎていく。
何て静かなんだろう。
ハイマツエリアを抜けると、大小さまざまな岩や石が続く火山岩エリア。ここまでもずっと急な登りが続いていたので、足が悲鳴を上げている。けれど歩きにくい火山岩エリアも容赦のない傾斜角度。足だけではなくて手も使いながら一歩一歩頂上を目指した。はるか上の頂上を見ると気が遠くなってしまうから、目の前の一歩に集中して、休み休み登っていく。
登り始めたのは9時過ぎだったのに、頂上に着いたらもうお昼だった。
巨大なクレーターのような火口から激しく噴気が上がっている。遠くには、初めて見る青沼の姿。
大地に意思があるのか、私には分からない。
けれど、大地は生きていて呼吸をしている。
絶え間なく続く地球の営みには、人間の意思は反映されない。
頂上でお湯を沸かし、お昼はカップラーメン。
共に励ましあいながら登ってきた、別のパーティーのおばさま達がゆで卵を差し入れてくれた。殻をむいてラーメンと頂く。
こうして、「頂上でカップラーメンを食べる」という、この日最大の目的が達成された。
下山は早かった。
あれだけ苦労した急坂も、下るのには何の苦労もない。
遠くでホシガラスが飛んでいる。
麓の森からは、鹿たちの、風を切るような雄叫び。
これほど豊かな森が見渡す限りに広がっている山は、北海道ではどこにも無い。
そして、多分カナダやスイスの山とも違う。
どこにもない、ここだけの豊かさが広がっていた。
息を切らしながら登っている時には思いもよらなかったのだけど、
帰ってきてみると、もう一度登ってみたいと思っている私が、いた。
ありがとう、雌阿寒岳。
さなえ
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2010年9月20日月曜日
空の分断される日
知っている人も多いと思うのだけれど、わっかの敷地は10年前までは「飛行場」だった。
その昔は多分森のようになっていたこのタテに細長い2町歩の土地を、こつこつ切り開いて開墾していったのが元の持ち主のNさんだ。
少しずつ、少しずつ木を切って、砂利を敷きつめた。平になった細長い草地を滑走路にして、ウルトラライトプレーンという小さな軽飛行機に乗って空を散歩するのが、Nさんの楽しみだった。
敷地の端に立つ、今ではカヌーやボート、自転車やさまざまな工具がぎっしり詰まったわっかの倉庫は、その軽飛行機の格納庫だった。だから、とっても目立つ赤と白のシマシマ模様。空からでもしっかりと分かるような鮮やかなコントラスト。
格納庫の隣りには、50坪もある体育館のような建物を作った。
電気も、水も無い土地に、モルタル壁の巨大な建築物を作るのは至難の業だ。モルタルと言うのは、セメントと砂利と水を練って作るもの。水道が無かったから、Nさんは80m離れた釧路川から根気よく水を運んでは、少しずつ建物を作っていった。
このモルタル壁の体育館様の建物は、Nさんが作った木彫りの鹿や器などの作品をぎっしりと展示した「エゾシカの博物館」だった。もっとも、原野の中の博物館で、訪れる人はまばらだったに違いないけれど、初めて見た時には展示物の数の多さに圧倒された。
シカと一緒に、無造作に何百も積まれていたブーメランも、一つ一つ丁寧に作られて、彩色が施されていた。このブーメランもNさんの趣味の一つだった。
当時も今も、Nさんは市街地のはずれに住宅があって、この博物館には住んではいなかったのだけれど、毎日、家からこの地に通っては、日がな草刈機を動かして、滑走路の整備をしたり、ブーメランや飛行機を飛ばしたり、制作に励んでいた。
そんなNさんの飛行場の横に、縁あって小さなログハウスを建てることになったのが私たち。
しかし今でこそ、定住者5軒の「大住宅街」となっているこの地も、私たちが家を建てることになった時には誰も住んでいる人はなく、当然、電気も水道も新たに引くことになった。
国道から我が家までは、町道である砂利道が400m。電線を引くのは電力会社にとっては至極簡単な工事であるはずだったのだけれど、我が家の手前に飛行場があるのが「問題」だった。
何しろ、小さいとは言え、運輸局の許可を取ったれっきとした飛行場。滑走路の入り口に電線があるというのは許されない。
仕方なく…電力会社にとっては仕方なく…私たちにとってはありがたいことに…電線はこの区間だけ、地下に埋設された。
そうして一年ほどの月日が流れ、Nさんはこの地を手放すことに決めた。
それで、今のわっかがある。
飛行機の入っていた格納庫は、倉庫に。
エゾシカの博物館だった建物は、中を改装してわっかのガイドハウスに。
滑走路だった土地は、畑や池やキャンプ場ができて、奥の方では少しずつ木も育ち、また森に還ろうとしている。もちろん、今となっては滑走路としての役目を果たすことは無い。
だけど、地下に埋設された電線はそのままだ。
わっかの前だけ、電線は無い。
ばーーんと開けた正面に、大好きなオブタツ山がそびえている。
この、遮るもののない眺めが密かにジマンだったりもした。
数日前。
秋空の広がる晴れた朝、突然に電力会社の車が3台やってきた。
「今日はこれから3本ほど電柱を立てる工事をしますから、よろしくお願いします」と、挨拶にやってきた。
全く、心の準備をするヒマも無いうちに、電線の埋まっているわっか前にどんどんと電柱を立てる準備を始めた。
光ケーブルを引くためだと言う。
そういえば、来年の「地デジ」化に向けて、難視聴区域の解消のため、町内全域に光ファイバー網を整備するというお知らせが、確かに先月来ていたのだった。
「地デジ」には興味の無い私たちも、ISDNがちょび~っとだけ早くなった上り260KBの「なんちゃってADSL回線」だったから、光回線にはやはり魅力を感じて、期限ギリギリに申込だけはしていた。
穴掘り建柱車が、ごりごりと電柱を立てるための穴を掘っていく。
ふいに、便利さと引き換えに失うものの大きさにたじろいだ。「やっぱり光回線にしなくてもいいから、電柱だけは立てないで下さい!この景色を壊さないで下さい!」
思わず作業員さんにそんなことを言いに行こうかと思ったのだけど、我が家の先にも住宅は何軒もある。私が申込を取り下げたところで、工事が止まるわけないのだった。
作業員さんは、私たちが家の前の砂利道を通るたびに、深々と頭を下げて、にこやかに、丁寧に作業を進めていく。
作業車が引き上げると、オブタツ山の左の裾野に、見慣れない大きな電柱が立っていた。どうしようもなく無粋で、風景の中にそこだけ際立って見えるような違和感。大体、この電柱という存在には、全く遠慮と言うものがない。
立ったばかりのこの電柱には、まだ電線はついていない。
けれど近いうちに、我が家から見てオブタツ山のちょうど頂上あたりに、空を分断する線が取り付けられるはずだ。
だから、これからは心の目で。
オブタツ山は無くなったわけじゃない。
いつもと変わらず、そこにある。
私には、それが、見える。
さなえ
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2010年9月14日火曜日
気づけば、秋
草木が青々と茂る7月の北の大地…
って書いてから、あっという間に2ヶ月が過ぎて、北国の季節はすっかりと秋に。
長いことブログの更新が滞っていてゴメンナサイ。
暑い夏だった。
もちろん、猛暑日の続く本州の方からは、まだまだそんなものじゃないって言われるような気温には違いないのだけれど、それでも高温多湿には無縁の北の大地だから、ちょっとくらいの暑さでも身体にこたえる。
暑さだけじゃなくて、湿度にもまいった。
家の中の、およそ金属以外のありとあらゆるものがカビる。
気温の高い夏は、畑にも影響が現れた。
まず、蝶の大発生。まったく、青虫のためにキャベツを育てているんじゃないか、というような状況が生まれた。
けれど、発生したのは不気味なマイマイ蛾とかではなく、かわいらしいモンキチョウやモンシロチョウ、アゲハ蝶などで、色とりどりの蝶が乱舞している様は美しかった。
そして収穫期を迎えてみると、玉ねぎやジャガイモなど、冷涼な地が適地とされる野菜たちはどうも小ぶりなものが多く、地場産玉ねぎを買いに出かけてみると、一キロ100円の破格値で売られていた。大切に育てた野菜がこの値段では、全く生産者はやりきれないだろう。
秋の楽しみのひとつだった「トウモロコシ刈り」。近所の農園で毎年開催しているのだけれど、今年は暑さの続く中、早々に看板が立ち、あれよあれよと言う間に終わってしまった。気温が高かったせいで、成るのも早かったし、終わるのも早かった。
暑かったから、私もよく川へ出かけて泳いだ。
ボートやカヌーに乗りながら、何度も上陸してはぷかりぷかりと川流れ。
いつもの年は、事務所でやキッチンで室内作業が多いのに、こんなに川へお出かけする夏も珍しい。これは、この夏一番嬉しかったこと。
9月になり、それでも少しずつ秋らしくなってきたので、いつも通りスモモ採りに出かけた。
2週間くらい前に確認した時には、青い実がたくさんついていたスモモの木。
ところが、スモモ採りに出かけたこの日は、スモモの木にはただの一粒も実がついていない。あっちの木…こっちの木… 赤い実を求めて彷徨うけれどやっぱり出会えず。
大きな立派なスモモの木が何本も生えているコタンの管理人、ジュウヨウさんに聞いてみると、、、
「だめだ。今年はもう何週間も前に全部落ちてしまったよ。もちろん、熟す前にな」
もう跡形もないだろうよ、と諦めたように笑って教えてくれた。
諦めきれずに、大きなスモモの木を持つ友人に尋ねてみたけれど、こちらも、
「そういえば成ってない!まったく!」
もともとスモモは「なり年」と「不作の年」が交互にやってくるので、不作の年もあっておかしくない。けれど、どの木もどの木もぜ~んぶ、一粒もなっていないというのは、やはり異常なこと。
あまりの暑さに驚いて、実が全部落ちてしまったんだろうか。
天気ばかりは自然のことだから仕方ないよ。
そうは思ってみるものの、これが本当に「自然」?
人為的な影響が天気や気温にも及んでいるのではないかしらと、この「自然」という言葉に対してさえ、疑いの眼を向けてしまう今年の私だった。
でも、季節はすっかり秋。私の大好きな季節。
どこまでも続くような高い空と、澄み渡った空気の下、
摩周岳にも登ろう…
スモモはダメだったけど、山ブドウやコクワも採りに行こう…
和琴半島のオオウバユリはもう開いたかな…
今年こそ秋の湿原をカヌーで行きたいな…
さあ、秋はやりたいことがいっぱいだ!
楽しみ、楽しみ☆
さなえ
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2010年7月7日水曜日
コロポックルからの贈り物
草木が青々と茂る7月の北の大地。
目に映る景色はどこまでもグリーン一色で、緑のパワーに身体中の力がみなぎってくるのが感じられるような、そんな初夏のにどむの里。
少しずつ増えてきたレンタカーが行きかう国道の脇には、巨大な葉っぱのフキがわっさわっさと茂っている。
本州から来るゲストはこの風景に驚かれることが多く、「これってフキですよね?食べられるんですか??」と質問されることも度々。
でも、残念…
道路傍のは茎が赤くて、食べられなくはないけれど「オカブキ」とか「赤蕗」とか呼ばれて、あまり美味しくは無い。
本当に「いい蕗」は、きれいな水が流れているところに…川の側とかに…生えている、茎の青い「青蕗」。鎌で刈り取ると、さーっと水が流れて落ちるようなのが最高級とされている。
そして6月下旬は、この蕗の収穫シーズン!
雨が上がったばかりの先週、蕗を採りに近所をドライブ。
滅多に人の入らない川沿いの道で、包丁片手にぶらぶら歩く。
成長した蕗は私の背よりも高く、蕗刈りをしていると、コロポックルになったような気分。
根元を刈り、中を確かめ、虫に食われていなければ葉っぱの部分を落とす。
虫だって美味しい蕗が大好物だから、「虫食い率」は意外と高く、せっかく刈り取っても半分ほどは使えずその場に置いてくることに… 蕗さん、ごめんね。
襲いかかる蚊とも戦いつつ、ばっさばっさと蕗を刈る。
刈り取った蕗はキッチンに運び、まずは鍋に入る大きさにカットしていく。
そして大鍋にぐらぐらと湯を沸かし蕗を茹でていくのだけれど、何しろたくさんの蕗だから、何回にも分けて少しずつ茹でていく。
それで、3回も茹でたら鍋の水は灰汁で真っ黒! これって染め物とかに使えないのかな… ああでも今日は無理だな… などと思いつつ、再び湯を沸かし、寡黙に蕗を茹でる。
茹でた蕗は、はっとするほど鮮やかな美しい翡翠色!写真だとよく分からないと思うけれど、こんな感じ。
それを一本ずつ丁寧に皮を剥いて、カットしていく。
そして、たっぷりのお砂糖を加えて、ひたすら煮込んでいく…
ぐつぐつぐつぐつ、コトコトコトコト…
驚くほどぺっちゃんこに嵩の減った蕗を、最後は飴状の砂糖でからめて、乾燥させた後、グラニュー糖をまぶすと、美味しい蕗菓子の出来上がり☆
3日がかりで出来上がった蕗の砂糖漬(アンゼリカ)は、そのままおやつに食べても、刻んでケーキに入れてもGOOD!香り高い蕗の味がしっかり残っている、私の大好きなお菓子です。
さなえ
www.wakka.biz/nidomu/ 追伸:今回はたくさん作ることができたので、わっかSHOPでも販売しています!
http://www.wakka.biz/shop/fuki.html
無くなったら販売終了ですよ~。
2010年7月4日日曜日
森の中の結婚式
1週間前のこと。
十勝のとあるステキな森の中で、友人の結婚式が行われ、私たちも家族で行ってきた。
新郎のヤンジーは、北海道の当別町にある廃校になった小学校を拠点に「災害救援ネットワーク」の代表をされている。
災害があればいち早く駆けつけて何百人もの炊き出しを行ったり、全国を飛び回って災害救援に関する講演を行ったり、それから廃業するホテルやレストランから、不要になった一切の備品…座布団から厨房機器から食器からイスやテーブルまで…を譲り受け、それらを必要とする福祉団体や慈善団体に無償で提供する『キッチンウェアバンク』を主宰したり、なにしろ日々道内外を駆け回るパワフルな方だ。
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20090303_bow_01.html
そんな元気なヤンジーと、これまたステキで元気な友人のアグネスが、森の中でアイヌ式の結婚式を挙げるという。
二人はアイヌではないけれど、アイヌの友人達と関わりが深く、森の中で挙げるというのもいかにもステキで、これ以外の結婚式はちょっと思いつけないような二人にぴったりの式のように思えた。
アイヌ式結婚式は14時から、そしてその後の披露宴は16時からなのだけど、何しろ森の中で150人の参列者の料理を作ると言うのだから、私たちも早起きして朝から現地に入りお手伝いをさせて頂いた。 当日は、朝からぐんぐんと気温が上がり、6月としては記録的な猛暑となる快晴の1日。
キッチン用のテントにも、ガスと水道を完備したキッチントラックにも、容赦なく太陽の熱が降り注ぐ。
滴る汗にもめげず、男性陣は会場作り。
参列者の座る畳を敷いたり、火床を用意したり、それからトイレ作り!地面に掘った穴の周りに、シートを張り巡らし、簡易コンポストトイレとする。ちなみに、この穴は新郎自ら結婚式の数日前にユンボーで開けたもの。 女性陣は芋を茹でたり、豆を炊いたり、蕗を切ったり、鹿肉を捌いたり。今回作るのはアイヌ料理のお膳なので、いつもの料理とはちょっと違う。紙に書かれた手順に沿って下準備を進めていくのだ。
それにしても暑い。気温は36℃を越え、冷涼な道東の地に生息する我々は息切れする。暑さで倒れないよう、近くの沢で度々つかの間の涼を頂く。やっぱり水の中はいいなぁ。
そして迎えた結婚式。
アイヌ語で、結婚の儀を『ウトムヌカラ』と言うのだそうだ。
森の中に作られた大きな祭壇に、親族が集まって座る。本来は家(チセ)で執り行われるのだけれど、今日は森の中だから、運動会用の大きなテントがその代わり。
披露宴の準備と子どもの世話の合間に、ちらりと覗いただけの結婚の儀だったのだけど、そこに流れる厳かな、それでいて閉鎖的ではない空気がとてもステキだった。踊りやミコトノリ(神々への祈り)などいろいろな儀式があったのだけれど、特に印象に残ったのが、お膳に盛られたお料理を二人で頂く『飯食いの儀』。
新婦の初めての仕事が、新郎のために料理を器に盛り付けること。盛られた料理は、二人で残さず食べることが重要。なぜなら、これから先、食べることに困りませんように… そんな願いがこめられているから。
暑い中、みんなの注目を集めながら、大盛の料理を頂くのは大変かもしれないけれど、二人は無事に器のお料理を残さず食べ、めでたく夫婦となることができた。
式の後は披露宴。
この日のために仕立てられた、アイヌの民族衣装で正装した二人。
夕方になり、暑さも少しやわらぎ、和やかに森の中で宴が続いた。
お料理も無事に間に合った!
左上が蕗の煮物。新郎新婦が2日前に採ってきた150本の蕗をことこと炊いて。
その右隣りが鹿シチュー。大きなごろんとした塊のお肉が入っている。
小皿は上からラタシケップ(カボチャとジャガイモを茹でて潰し、金時豆を混ぜて甘くしたもの)、昆布シト(昆布の甘いタレにからめた団子)、鹿ソーセージに行者ニンニクのしょうゆ漬けを添えたもの。
汁物は、オハウ(鮭と野菜の塩味の汁物)、ご飯は、イナキビと小豆のアマム(ご飯)。
1日動いていただくお料理は、どれも美味しく、楽しい宴でした。
楽しかった夏の1日。ありがとう☆
ヤンジー、アグネス、これからもよろしくお願いします。
さなえ
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2010年6月23日水曜日
つながる輪
日々緑の濃くなる6月の大地。
先週の日曜日、さんさんと照りつける見事なまでのお祭り日和、そして笑顔・笑顔・笑顔に恵まれて、『虹のわマーケット』は無事に終了!
ねえねえ、フリーマーケットやらない?
そんな一言から始まった小さな一歩だったけれど、出店してくれた皆さん、そして来場の皆さんおかげでこの上なく楽しいステキな一日だったなぁ。
そしてもちろん、辻谷商店のKatzさん、ayaちゃん、わっかメンバーにSpecial Thanks!
今回のマーケットは、出店料の半額を寄付に回すスタイル。
お祭りの名前にもなった「虹のわ」は、このお祭りが虹の架け橋になるように願いを込めてつけられたもの。ステキなつながりの輪が生まれることを願って、明るい未来のために頑張る活動を知ってもらうこと、これもお祭りの目的の一つだったのでした。
小さなブースは、木陰の気持ちのいいポジションで、人だかりというものは無かったけれど、訪れる人がパネルを眺めたり、そっと寄付を入れてくれる人がいたり、何も入れなくてもそれぞれが心の中に小さな想いを確認したりする場になっていたように思う。
けれどどんなに楽しいこと、ステキなこと、意義のあることをやっていても、そこに子ども達の笑顔が無かったらやっている意味がないじゃないか。
いかに子ども達を泣かせずに、共に楽しめる空間を作るか。そこが今回のお祭りを企画した母ちゃん達の悩みの種でもあったのです。 そこで登場したのが、昔懐かしい紙芝居屋さん。
プロの紙芝居屋さんという方は、残念ながら存じ上げなかったので、わっかの隣人で友人、声優でデザイナーで元劇団員のトシさんに紙芝居屋さんをお願いし、昔懐かしい自転車で登場頂いた。
そしてやっぱり紙芝居といえば『黄金バット』でしょう!
そんな話で盛り上がったのだけれど…、黄金バットは高かった。
1作が1万円以上もする。いくらお祭りとは言え、買えるわけないのだった。
仕方がないので、代わりのものを探す。そして図書館の方に尽力頂いてお借りしたのが『とまがしま』などの落語シリーズと、『くろずみ小太郎旅日記』シリーズ。
この紙芝居、今回は5作読んで頂いたのだけれど、やっぱりプロが読むと全然違う!
お母さんが膝に子どもを乗せて読んであげるものとは全然違う種類の、何度も練習を重ねて舞台で演じる小さな劇、お芝居だったのですね。
集まった子ども達は、水あめでべとべとになった口をぬぐいながら、食い入るように真剣に舞台を見つめていた。そして、もちろん大人たちも夢中になって。
ありがとう、トシさん。 紙芝居と平行して行われたのが、かまどで作る野菜たっぷりの『かまどカレー』ワークショップ。
外で、薪を使って料理をする。
私たちにはとても馴染み深いことであっても、マンションで暮らす町暮らしの人にとっては、かなり非日常な行為であると思う。
でも、だからこその『かまどカレー』。
火というものは、コンロをひねって出すものだけじゃない。薪の火を扱えることは、生きる力が向上すること。災害にも役に立つ。
そんなことを子ども達にも、そしてかつて子ども達だった人にも、ちょっぴり伝えたくて…。言わなかったのですけれども、ね。
楽しむだけじゃないお祭り。だけど、心の底から楽しんだお祭り。終わった後の毎日にも、LOVEとPEACEが満ちている。
ありがとう!
さなえ
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2010年6月2日水曜日
自然から頂くもの
桜が散り始め、どこもかしこも一面タンポポの北の大地。
畑の野菜たちは、特に露地のものは、植えつけたはいいけれど、しーんと音もなく静まり返っているようなそんな中で、雑草たちのたくましさは何だろう。
わずかな光も逃すまい、水分はしっかりと蓄えて、流れ出てくる養分は一滴残さず自分のものとする、そんな力強さ。耳をすませば、快晴の空の下で草がすくすく伸びている音が聞こえる…ような気がする。
雑草、雑草というけれど、きっと彼らにも名前がある。
でも私に分かるものと言ったら、アカザやハコベ、ギシギシ、それから触ると痛いイラクサくらいで、後はまだ「名もなき草たち」。 そうそう畑の脇には、これでもかというほどヨモギが密集している。
ヨモギだって春の味には違いない。そういえばヨモギはあんまり料理したことがなかったっけ… そう思い、昨日はヨモギを摘んでみた。
若芽の美味しそうなところを選んで。
春らしい草の香りがふわりと漂って、それだけで何だか嬉しい。
上新粉を蒸して、すりこぎで搗いて、さっと茹でたヨモギを一緒に混ぜて捏ねると、草餅の出来上がり。たくさん作って常備している小豆餡をたっぷり乗せておやつにしてみた。
自然から頂くものは、何より安心感があって嬉しい。
ところで、このところいつもの「搾りたて牛乳」が入手困難だ。
欲しくなった時に、近所の酪農家さんの牛舎に瓶をぶらさげて買いに行っていたのだけれど、口蹄疫がこれだけ宮崎に広まっているので、九州からのゲストもよく来るわっかとしては、自主的に牛舎への立ち入りを「自粛」している。
牛乳は、「自然から頂くもの」だろうか。
いや、ちょっと違うなと思う。
牛乳を摂取するのは身体に良くない、最近はそんなことをよく耳にする。
それが間違っているとも思わないけれど、全面的に正しいかというと、それもちょっと違う気がする。
けれど、なるべく牛に負担をかけないようにしながら、大事に名前をつけた一頭一頭を育てて、365日牛のことを考えて暮らしている酪農家のAさんから分けて頂く牛乳は、やっぱり自然からの恵みに違いない。
家の裏に立てかけてあるシイタケのほだ木に、今年の春はシイタケが鈴なりだ。
タイヤ温室で育てたほうれん草は、早く収穫しないととう立ちしそう。
今日の夕食は、シイタケとほうれん草、手作りハムを、自家製の卵とたっぷりの牛乳で焼いた野菜のキッシュ。
スーパーで買った牛乳、というのがちょっぴり残念だけど…
早く口蹄疫がおさまって、牛と人の営みが少し前に戻ってくれることを祈ります。
さなえ
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2010年5月9日日曜日
虹のわマーケット
気がつけばバタバタとGWが終わって、季節はすっかり春。
お天気に恵まれた連休だったので、何かと楽しいことがいっぱいだった。
まずは、すっかり食べ頃になった山菜。
行者ニンニクのバター炒め、ヤチブキの辛子マヨネーズ和え、クレソンサラダ… 山の恵みは、半年間のモノトーン生活からようやく脱皮した嬉しさで、とびきりの味!
それから、温室の中でガッテンが育てている野菜の苗たちもすくすく大きくなっている。
私もイチゴの植え替えをし、ハーブ達の剪定をして、陽だまりの中の土いじり。
庭の池に鳴くエゾアカガエルの声も、いつもと同じく元気いっぱいだし、オーストラリアから渡ってきたオオジシギのバサバサ音(ディスプレイフライト、というのです。羽音を響かせて急降下!)もいつもの年よりたくさん聞こえてくる。
タンポポも咲き出した。
水芭蕉も。
牧草地もグリーンに変わった。
そしてもちろん、川の上のカヌー。やっぱり水の上もいいものです。
さて、そんな春に湧く私たちの最近の楽しみは、6月13日に開催することになった、
「虹のわマーケットinてしかが」。
少し時計を戻して冬の頃なのだけれど、弟子屈のステキなお店、辻谷商店を営む友人と、フリーマーケットをやりたいね、という話をしたことから始まったこの「虹のわマーケット」。
やるなら楽しいことをしよう。
でも、ただ楽しいだけじゃなくて、何か社会に貢献できるようなことがいいね。
子ども達が走り回るすぐ側で、時には泊り込みながらいろいろ話し、小さかった種から元気な芽が出るようにこのマーケットの企画はふくらんでいった。
出店料の半分は寄付に回そう。
来てくれた人も一緒に楽しめるワークショップを開こう。
子ども達も楽しめることをしよう。
何しろ、初めてのことだから、手探りのことばかりだけれど、私たちの未来感と夢をたくさん詰め込んで、きっとステキな一日になるはず☆
弟子屈はちょっと遠いけれど、ぜひ遊びにいらしてください。
<虹のわマーケット> http://nijinowa.jimdo.com/
さなえ
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2010年4月16日金曜日
小さな春のプレゼント
季節の歩みはのろのろと…
今週初めに、クレソンとヤチブキを採りに近くの湿地に出かけてみたのだけれど、まだまだ芽吹き始めたばかりの小ささで採るにはしのびなく、来週までお預けと帰ってくる。
春が待ち遠しいのは皆同じだけれど、今年の春はいつもの年より1週間以上遅いみたい。
それでも家の前の砂利道は、ようやく乾いて春らしくなった。
夕方、学校と保育園から帰ってくる子ども達は、砂利道に入ったとたんに「止めて!止めて!ここから歩く!」と必ず叫ぶ。
春が来たのが嬉しくて、2人とも思いっきり地面を駆けて家に飛び込んでくるのだ。
家に入る子ども達の手には、毎度小さな春のプレゼント。
「はい、これあげる!」
と、この前は福寿草が2輪ずつ握られ、昨日は泥んこのフキノトウが3つ。
6年生のミチトは、最近は反抗期なのか憎たらしいことばかり言っているけれど、こんな時はまだまだ子どもの笑顔で、私をほっとさせてくれる。
先週はまだ数えるほどしかフキノトウを見つけられなかったので、もったいなくてなかなか採れなかったけれど、今はもうあちこちで群生しているのを見かけるから、ちょうど「フキノトウ味噌」を作ろうと思っていたところだった。
泥んこの小さなフキノトウ3つからは、大した量の味噌は作れないけれど、夕食には充分。
小さなミルク鍋に、圧搾絞りの胡麻油をたっぷり熱したら、刻んだフキノトウを炒める。
フキノトウは水にさらす人もいるけれど、何だか香りが逃げてしまう気がして、私はしない。刻んだらすぐに色が変わってしまうので、油を熱しつつフキノトウを刻み、刻んだそばからすかさずお鍋に入れる。
よく炒めたら、ほんの少しの甜菜糖と、自家製味噌と、美味しいみりんを少々。
味噌は入れすぎるとフキノトウの香りを圧倒してしまうので、加減をみながら少なめに。
全体がよく馴染んだら、春の味いっぱいの「フキノトウ味噌」の出来上がり☆
食卓に並んだフキノトウ味噌は、美味しい!美味しい!と大感激の4歳児にあっという間に食べられてしまった。
やっぱり春はいいなぁ!
また作ろうっと。
さなえ
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2010年4月11日日曜日
新学期
暖かい、寒い、暖かい、寒い、暖かい、暖かい、寒い。
そんな感じの4月初め。
今日は今年初めての敷地内のフキノトウを見つけ、嬉しい春の一日!
この冬は雪が多かったせいか、まだまだたっぷりあっちにもこっちにも雪が残っている。それでも一冬閉め切っていた窓を開け放つと、さわやかな春の空気が流れ込んで、よどんでいた部屋のあちこちも目覚めの季節を迎える。
春。
子ども達も新学期。
長男のミチトは小学6年生、次男のシュウシュウは年中さんに、それぞれ進級。
お部屋が替わったり、担任が替わったり、新しいお友達が増えたり… 遅い北国の桜は、まだひと月以上も先だけれど、「桜=入学・進級」の関東で育った私の頭の中では、もうすっかり満開です!
さて見渡す限りの原野に住む私たち、「学校はどこですか?」「保育園はどこまで行くのですか?」とよく聞かれるのだけれど…
学校も保育園も、役場も商店も、家から約10km近く離れた弟子屈(てしかが)の町の中。
車なら10分かからない距離で意外と近いのだけれど、歩いて通学するのはちと時間がかかりすぎるので、小学生のミチトは家の前の砂利道を400メートルほど歩いて通学バスに乗り、保育園のシュウシュウは私の運転する車に乗り、毎朝それぞれに「出勤」していく。
広い弟子屈町内には、小学校が6校。
「何人の学校なのですか?」と、これもよく聞かれる質問だけれど、残念ながら(?)我が家の学区は、町内最大の「弟子屈小学校」の学区なので、全校生徒は360人。1学年につき、2クラスの大きな学校なので、聞いた方はたいていちょっぴり残念そうな顔になる。ごめんなさい。
弟子屈小学校以外の学校は、全校生徒が10~20人のとても小さな学校で、クラスも複式学級(2学年が一緒のクラスで、先生は1人)なのだけれど…。
放課後は、児童館まで歩き、遊びながらお迎えを待つ…
というのは遠い過去になり、今でも児童館には登録しているのだけれど、放課後はひたすら友達と遊び、夕方、私が指定された場所にお迎えに参じる、という寸法。
お迎えの場所はご丁寧に必ず電話で指示があり、
「今日は農協の2階で遊んでるから!」
「今日は厚生病院の横の歩道で待ち合わせねっ」
「5時に『スナックパープル』の2階に迎えにきて」 …??
と、おもしろい電話が毎日必ず来るので、電話を取りこぼさぬよう細心の注意が必要(笑)。
児童館も、放課後の他、学校がお休みの土曜日や長期休みの時も朝から夕方まで開館しているので、お友達とアポが取れなかった時にはまだ通うことがあり、登録は継続している。ちなみに登録利用料はひと月500円(=おやつ代)。
次男の通う保育園も、小学校同様、0才~年長の全園児を合わせると100人近い大所帯。
だけど広々とした園舎と、柵がひとつもない開放的な広い園庭で、子ども達はのびのびと育っているように思う。もちろん、待機児童はゼロ。
子ども達のおかげで、新学期気分を満喫している私だけれど、この後は「役員決め」「懇談会」「×××総会」そして「家庭訪問」など、もろもろの行事が目白押し。
ふ~ぅっと息つく間もなく、春は駆け足で過ぎていくのだ。
がんばろうっと☆
さなえ
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2010年3月20日土曜日
鶏の注文
あちらこちらで大地が顔を出し始めた3月後半のにどむの里。
久しぶりに見る大地は、どこもかしこもグチャグチャで美しいとは言いがたいけれど、極寒の冬景色に覆われていた3ヶ月を経て目にする大地は、やはり例えようもなく嬉しい。
家の周りではフキノトウも福寿草もまだ出てきてはいないけれど、朝の空気は春そのものです。
3月に入り、農協から「ニワトリひなの取りまとめ注文書」が回ってきた。
我が家は農協の組合員ではないのだけれど、次男の通う保育園には農協で働くお母さん達も多く、お迎えで会った時に注文書を渡してもらうのが毎年の恒例なのだ。
農業用資材、いろいろな種、組合員の生活必需品の販売から金融まで、農業地帯に欠かせない存在である「農協」だけれど、ニワトリのひなだけは1年に1度しか入手機会がない。
ひなを出荷している数少ない業者が道北の剣淵にあり、そこから仕入れしているためだと言う。
注文書には
<大ひな 100~120日令 予定価格1,800円>
※大ひなは、すぐに卵を産む程度の大きさです
と書いてあって、その下に
○ボリスブラウン(赤玉鶏) オス 羽 /メス 羽
○ジュリア(白玉鶏) オス 羽/メス 羽
と注文数を記入する欄がある。
ここに書いてある「ボリスブラウン」が、我が家で飼育している「コッコちゃん」。オスが居ようが居まいが毎日のように卵を産み、産んだ卵は抱くでもなく、日がな一日エサを食べたり、草をついばんだり、時々脱走したりしてのんびり暮らしている。
でも、それって変じゃない?
オスがいなくても卵を産み続けるなんて…
そしてせっかく鶏を飼っていても、増やすには農協に注文するしかないなんて…
一体ニワトリって何?
いろいろ思うところはあっても、やっぱり鶏は飼いたい。
今いる鶏だけでも我が家の卵は充分すぎるほどなのだけど、鶏も年を取ってくると卵をあまり産まなくなる。コッコちゃん達は、もう3年目…そろそろ卵を産まなくなってくるだろう。
いろいろ悩んだあげく、ボリスブラウンのメスの欄に「3」って書いて、農協にFAXした。
何となく、注文した後も心がモヤモヤしたまま日が過ぎていた。
ちょうどその頃、お隣に住むトシさんが生活クラブの注文書を置いていってくれた。
国産、無添加にこだわった生活クラブの商品(消費材)は、どれもとても好感の持てるものばかりだけれど、なるべく地元で買えるものは地元で…作れるものは手作りで…と思っている"お取り寄せ嫌い"の私なので、入会はしていない。
それでも、どうしても地元では手に入らない「国産なたね油」などを、トシさんの注文時に便乗して注文させてもらうことがあり、注文書を見るのは楽しみのひとつ。
その生活クラブの注文書に同封されている『生活と自治』という小雑誌があるのだけれど、これがなかなか面白く、毎度内容の同じ注文書より、こちらの雑誌を楽しみにしていると言ってもいい。
さて、今月の『生活と自治』をぱらぱらとめくっていたら、
<卵は国産でも、産む鶏は外国産?>
というレポートが目に入った。
全部をここに転載したいところだけれど、読んでいる皆さんがぐったりしてしまうといけないので、かいつまんで…
まず、
「卵を産む鶏(採卵鶏)が良質で均質な卵を安定して産み続けるには、遺伝的に優れた系統を掛け合わせるなどの『育種改良』が必要で、これを長期間、日常的に続けていかなければならない」
とある。
この育種改良の元になるのが「育種鶏」で、ここから優れた鶏を選別して、「原々種鶏」→「原種鶏」→「種鶏」→を経て、ここから生まれたひよこが養鶏業者の元で育てられ、ようやく「採卵鶏」が誕生する。
日本の卵の「自給率」は95%を越えると言われているけれど、そのうち海外由来の鶏は実に94%にもなるのだと言う。ほとんどの採卵鶏の元をたどると、「育種鶏」を独占的に保有しているヨーロッパの2大会社に行き着くのだ。
日本でも「原々種鶏」を輸入して増殖させてはいるのだけれど、育種改良を海外に依存しているため、もしもいつか輸入がストップするようなことがあれば、いずれ卵は手に入りにくくなる。
94%の鶏と聞き、「おや?」と思ったあなた…
そうなんです。このレポートによると、純国産の鶏が6%ではあるけれど、存在するというではありませんか!
パチパチパチ…
というわけで、この貴重な「純国産鶏」は、岐阜市に本社のある「後藤孵卵場」が出荷する「もみじ」と「さくら」の2種の採卵鶏。同社は、この2種の採卵鶏の育種鶏を保有し、育種改良を続け、純国産鶏の生産をしている唯一の会社だ。
いつか育ててみたい…。
もみじ、さくら、名前もかわいい。
が、あと2ヶ月でボリスブラウンが3羽やってくる。
鶏ハウスも含めて、「ニワトリ計画」を練り直さねば。。
外は春。
楽しみ、楽しみ!
さなえ
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PS:わっかHPも無事にリニューアルしました☆一仕事終わってほっと一息です!
2010年3月6日土曜日
没頭
来る日も、来る日もパソコンに向かう日が続いている。
神様からの贈り物に会いに森へ出かけたのを最後に、もうずっと事務所にこもりきり。
2種類のパンフレットと、新しいホームページ作り。
もろもろの書類提出。
静かな事務所で作業をしていると、カシャ…カシャ…と聞きなれない音が聞こえた。
振り返った窓の先では、まぶしいほどの陽射しに照らされて、屋根から下がるたくさんのつららが、一本また一本と地面に落ちているのだった。
パンフレットの入稿は無事に終わった。きっともうすぐ印刷屋さんから発送される頃。
新しいホームページも残り8ページ。
デザインは好きだ。ついつい没頭してしまう。
けれど、そろそろお尻に根っこが生えそう…
もう少し…
もう少し…。 今日は雪。
山も白くなって、春気分を吹き飛ばしてくれた。
新しいホームページが出来たら…
あと1回くらいは森へ行きたいなぁ!
さなえ
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2010年2月18日木曜日
薪ストーブ
今朝も最低気温は-23℃。地味に寒い日が続いている。
寒い日が続いても暖かく過ごせるのは、ワラの家と薪ストーブのおかげ。しみじみありがたい。。
極寒の地で暮らす我が家の暖房は、95%が薪ストーブだ。
残りの5%が何かと言うと…
寒い事務所でパソコンに向かっていると手がかじかんで変なキーを打ってしまうので、たまに小さなポータブル灯油ヒーターを焚いているのと、吐く息も白い凍えるようなキッチンでご飯を作っていると手がかじかんでずーっとガタガタ震えなくちゃいけないので、小さな昔ながらの灯油ストーブを焚いているのと… と、主に私が寒がりなことに由来する5%だ。
でもこれらの灯油ストーブは、実際に作業する時に短時間点けるだけなので、タブン本当に5%くらいの消費量だと思う。
そして灯油のストーブは、点けている時は暖かいけれど、火を消すとすぐに元の寒さに戻ってしまうので、身体の芯から温まると言うことはなく、うすっぺらい暖かさが好きではない。
それに比べて薪ストーブは暖かい。
身体の芯からほこほこ暖かい。
我が家の薪ストーブは、居室にあるのがホームセンターで買った5万円の鋳物の薪ストーブで、土間にあるのがホームセンターで買った1万円のアルミの薪ストーブ…と、どちらもホームセンターで買ったもの。
よく雑誌で見かけるような、煙突と合わせて100万円もかかるピカピカしたやつじゃないけれど、これでも充分に暖かい。
薪は、家や店舗を解体した時に出る廃材を頂いてきたり、牧草地の脇で伐採した雑木を頂いてきたりと、要するに「頂いてきた」もので今のところは間に合っている。
移住してきた最初の年から薪ストーブを使っているけれど、今まで薪を買ったことは一度もなく、こんなにありがたいことはない。
しかし初めて薪ストーブを使い始めた頃は、薪になかなか火がつかず、点火がおっくうだった。でも試行錯誤を経て、自分なりの点火方法を編み出してからは、マッチ1本で点火できるようになった。
まず太目の薪を2本、ストーブの中に置く。薪と薪の間に新聞紙を半ページ分、まるめてねじこみ、その上に「1番焚きつけ」を置く。「1番焚きつけ」に最適なのは、ぱりぱりに乾燥したみかんの皮、割り箸、白樺の皮(がんび)など。そしてこの上に「2番焚きつけ」の、もう少し太目の乾燥した木を置き、マッチで新聞紙に点火するのが私のやり方。
さて、先月の終わり頃から少なくなってきていた「2番焚きつけ」がとうとう底をついたので、今日は焚きつけを取りに入ってきた。
と言っても、敷地内の小屋の横にあるのだけれど、雪が深いのでスノーシューを履いていかなくてはならない。それに雪の下から掘り出さねばならないし、ソリで引いてくるのがなかなかに重たいということもあって、1日延ばしに延期していたのだ。
でももう焚きつけがないから… しぶしぶとソリを引っ張って出かけた。
敷地内を歩くだけだから、スノーシューはゴム止めの簡単なやつで充分。
この焚きつけは、近所の家が新築された時に出た廃材で、小さな切れ端の木々をたくさん袋につめてトラクターで運んできてくださったもの。
意を決して出かけた割には、前回行った時よりも雪がぎゅっと締まって至極歩きやすかった。おかげでソリもすいすい~っと進み、スノーシューも埋まらず、あっという間に任務は完了した。
よかった。
これで当分は大丈夫だ。
こういうのを、きっと点火泰平って言うんだろうなー。
冬の北海道は寒いけどあったかいです。
屈斜路湖も全面結氷して、御神渡りもできましたよ~!
さなえ
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2010年1月23日土曜日
札友内宮殿
今朝のにどむは極寒☆
昨夜、お風呂に行こうとドアを開けると、取っ手に触れただけで電気が流れたように感じるほど痛かった。ものすごく冷えていたからだ。鼻毛も凍った。
朝、ワクワクしながら最低気温を確認すると、-25℃。
な~んだ、こんなものか…とちょっぴりガッカリしたけれど、低温状態が長く続いたから、外の景色は息をのむほど美しかった。
ばんざい!
それでも、家の中は暖かい。
ワラの壁の厚みは50センチ。壁を隔てた中と外の気温差は、50℃近く。つくづく、ワラの家のありがたみを実感する。
私たちが北の大地にやってきて、今年で15年目。
最初に住んだ家は、それはそれは寒かった。
今のように、「移住促進」という言葉も無かった時代だから、空き家を見つけるのも一苦労。家を貸して頂けただけでありがたいのだから、その家がぼろかろうが、寒かろうが、文句はない。どうしても釧路川のあるこの町に住みたいという私たちのために、役場の方があちこち駆けずり回って交渉して、探してくださった家だった。
当時は当たり前のようにその家に暮らしていたけれど、今思えばすごい家だったなぁ!
まず、初めて家に入った時…
何だかヘンな匂いがした。生まれてから一度も嗅いだことのない匂いだった。
「ああ、これはネズミのフンの匂いだな。きっとネズミがいっぱいいるんだよ」
とガッテンが言うので、ああ~そういうものかと納得。
部屋の中には小さな黒いものがあちこちにびっしりあり、それは全部ネズミのフンだった。
お借りした家は、屋根裏を含めて8部屋もある、大きな平屋建ての一軒家。
1年くらい空き家になっていたということだけど、部屋の壁に下がったカレンダーは4年も前のものだったので、空き家歴詐称ではないかと思っている。そして家の中には、大家さんの荷物が埃をかぶったまま、どっさりと残っていて、何よりすごいのは、ほとんどの部屋の床が落ちていたことだ。
「床が落ちる」
というのは、見たことが無いと想像がつかないかもしれない。
長く人が住んでいない家はどんどん腐敗が進み、土台や根太といった家を支えている大事な木材が弱っていく。そうしてある時どさりと落ちる。もちろん、その上に乗っている床もどさり。
北側にある3部屋は、ぎっしりと詰まった荷物もろとも崩壊していたので、私たちはそこは見なかったこと・初めから無かったこと・にして、開かずの部屋として封鎖した。
屋根裏部屋も、ネズミのアジトになっていたので、ここも見なかったことにした。
お風呂がない、水道管が破裂している、などはいいとして、何より不便だったのはトイレが無かったこと。
トイレの代わりにあったのは、家の裏手に建つ小さな「便所小屋」。掘っ立てのナナメの柱に、どうでもいい感じに壁と屋根が張ってあり、大きく掘られた穴に、腐りかけた2枚の板が申し訳程度に渡してある。その板の上にそろりそろりと足を置いて、用を足すのだった。
ただ、この便所には重大な欠陥があった。
屋根の高さが私の目の高さと同じで、用を足し終えて立ち上がると、天井に頭をぶつけてしまうのだ。しかし天井には、屋根板を留めていると思われる釘が無数に飛び出ていて、ぶつけ方によっては流血の惨事となってしまう。
細心の注意を払いながら、一日に何度もそろりそろりとこの便所で用を足すのは、ナカナカに面倒なことだった。
そして一事が万事このように、私の19歳の日々はドタバタと過ぎていったのだ。
この愛すべきボロ家のことを、私たちは「札友内宮殿」と呼んでいる。
宮殿暮らしに負けない、創意工夫・試行錯誤の楽しい暮らしができるから。
今はもう取り壊されて、宮殿のあった場所はぽっかりと更地になっている。
凍てつく大地で、全ての水分が凍りつく。
川から湯気のように立ち上がる気あらしが、ゆっくりと流れてきた。
子ども達を保育園に送っていく車中、神秘的な風景を眺めながら、手に入れたものと失ったものについて思い巡らす朝だった。
さなえ
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2010年1月17日日曜日
暖冬に思う
年が明けてから、どさりどさりと大雪2回。おかげで、たっぷり真っ白のにどむの里☆
大寒を控え、このところ本格的に寒い日が続いている。
そして今年は雪も多い気がする。
そう聞くと、「暖冬だと思ったのにねぇ」と言う人も多い。
ニュースでも「暖冬が一転して大雪に見舞われ…」と言っているのをよく耳にする。
でも・・・
道東はもともと雪の少ない地方。その代わり、気温が低いのが特徴で、今年のように雪だるまを作れるような湿った雪がどさどさ降るなんて、今までではちょっと無かったこと。
暖冬が文字通り「暖かい冬」という意味であれば、やっぱり今年は暖冬なのだと思う。
しかし、いくら暖冬でも冬は冬。道東では、「厳寒冬」が「寒冬」になったくらいのもの。
最後に気温がプラスになったのはいつのことだったか…。 そんな寒さの中、ニワトリたちは思いのほか元気いっぱい!
昨年の春に、ガッテンが作った温室が、冬の「ニワトリハウス」になっているから。
この温室、基礎が古タイヤ。
タイヤを立てた状態で半分ほど埋める。たくさんのタイヤを用意して、ぐるりと温室の大きさになるほど埋めて、その上に木材で大枠を作り、拾ってきたガラス窓をはめこみ作ったもの。屋根は透明な波板トタンなので、中の気温はすこぶる高い。
タイヤを基礎にするなんて何だかへんてこな建物だけど、実はそれなりに意味がある。
冬の道東は、大地がかちこちに凍りつき、盛り上がる。そのため、普通の建物は「凍結深度」の150センチを超えて深く埋めなくてはならないのだけれど… タイヤ基礎は、大地の盛り上がりを吸収して、上の建物のゆがみを少なくしてくれる。
もちろん、これは上に建っているものが多少の歪みはOKのアバウトな温室だから成せることなのだけれど。
温室の中では夏の間、トマトやナス、ピーマンや激辛ナンバンなどがわさわさと(ジャングルのように)育っていたのだけれど、秋にそれらを引っこ抜き、ニワトリの越冬小屋へ変身! ご覧のように簡素な造りだけれど、太陽の熱とニワトリの体温のおかげで冬でも中は意外なほど暖かい。
そして小屋の中には、今の私たちがこの時期には絶対に見ることのない「茶色い土と砂」がふんだんにある。屋根があるのだから当たり前なのだけれど、何度見てもすごく新鮮!
大工仕事でたまった木くずをたっぷり敷いて、鶏のフンもたっぷりあるから、きっと春には素晴らしくいい土になっているはず。そしてきっと暖かなハウスの中だから、まだ外の大地が凍っている時期から畑の苗を育てられるのではないかと、今からワクワクしてしまうのです。
そんなわけだから、もちろん春は待ち遠しいのだけれど、まだまだ冬の楽しみもこれから!
冬の山スキー、味噌作り、夏には忙しい友人達とのおしゃべり、そしてキラキラした冬の風景も。
さて、遅ればせながら今年もどうぞよろしくお願い致します。
今年は、わっかショップを少しずつOPENしていこうと考えています。相変わらずのんびりなブログ更新も、できればもう少し頻繁に…
またお付き合い、よろしくお願いしますね。
今年もステキな一年になりますように!
さなえ
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追伸:
わっかショップ第一弾、私のデザインしたオリジナルてぬぐいが染め上がりました。もしよかったら覗いてみて下さいね☆