冬が、やってきた。
ひゅるり冷気をまとった風が、すっかり枯れた原野をなでていく。毎朝しっかりと霜で白くなっているけれど、雪はまだ。寒さばかりが先行し、一年でいちばん寒く感じるのがこの季節。
こんな寒い季節には、なんといっても温かいスープがいちばん。 薪ストーブに火を入れたら、玉ねぎを刻みます。
バターを使ってよくよく炒めたら、そこに野菜も加えます。
カボチャや人参、さつまいも、じゃがいもなんかがいいかしら。
お鍋にフタをして、少し火から遠ざけて、野菜が汗をかくように蒸らし炒め、
それからお水を加えます。
そこに、ローリエ(なるべくなら枝つきのものを)と良い塩を。
野菜と、水と、ローリエと、塩。
シンプルな材料をことこと煮込んだら、後は裏ごしするかミキサーで、ポタージュに。
とろみの少ない時には、ナイショだけど、炊いたご飯を一緒に加えます。
仕上げに豆乳と、生クリームを少々。
何の変わりばえもしない野菜のポタージュだけど、
私のレシピは、味つけに使う調味料が塩だけ。
塩とローリエが、野菜から甘味を引き出してくれるので、コンソメいらず。
だけどビックリ、こっくりと美味しい野菜ポタージュ。
放射性物質は絶対にイヤだから、口に入れるもの全てに気をつける。
そしてもちろん添加物もイヤ。
シンプルで、免疫力がアップする食事を作るのも、かあちゃんの大事な仕事。
だから、負けない。
全国のかあちゃん達、がんばれ!
さなえ
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<メモ>
※我が家では牛乳は飲んでいないけれど、無添加の生クリームとバターは使っている。放射性セシウムは脂肪部分へはほとんど移行しない。
※塩は、友人が販売している韓国のもの。粒が大きくて甘い。
2011年12月3日土曜日
塩味のポタージュ
2011年11月5日土曜日
自家製キムチ
すっかりと葉が落ちて、釧路川の畔は晩秋の装い。
透明度の増した空気は、どこまでも美しいのだけれど、触るとはらりと壊れてしまいそうな儚さが、近づく冬を告げているかのよう。
ぐんぐんと日も短くなって、短くなった光に追われるように一日が過ぎていくこの頃。
先日久しぶりに近所のホームセンターを覗くと、中はじんわりと暖房が効き、品揃えは一気に冬モードになっていた。
ホッカイロ、冬用ワイパー、雪囲いの筵、暖かい靴下、ストーブの部品などコマゴマとよく気がつくように並べられた冬用品の数々、それからもちろん、どーんと設けられた漬物コーナー。
1斗樽から4斗樽まで、さまざまな大きさの丸や四角の漬物樽に加え、それぞれの樽に合うお漬物袋、そしてこれまたさまざまなサイズの漬物石、漬物の材料の塩だの麹だの昆布だの粕だのスルメだのがぎっしりと、いちばん目立つ入り口に山積みになっている。
これ、これ。冬支度といえば、漬物作り。それが北国のかあちゃんたちなのよ。
去年は、ニシン漬けも飯寿司も、気温の下がり過ぎないうちに暦通り漬けたら、どうもうまくいかなかった…。こんなに漬物に失敗した年は初めてだった。だから今年はうんと気温が下がってから漬けよう。そう思ってはいるのだけれど、やっぱり山と積まれた漬物用品を見ると気持ちは焦る。
そこで、今年は手始めにキムチを漬けることにした。
まずは畑にぽつんと残されていた白菜を、全部収穫。するとあらあら!キムチを漬けるのにちょうどいい量!
収穫した白菜は、全てよく洗い、4等分に裂いた後、塩漬けに。
2日経って、よく漬かった白菜をザルに並べて水切りする。
1日くらい置いて、よくよく水が切れた頃が漬け時。
キムチのたれは、買ってきたものよりも断然手作りが美味しい。
鰹ダシに上新粉を加え、火にかけた糊状のベースに、韓国唐辛子、すりゴマ、りんご、大根、玉ねぎ、しょうが、ニンニク、ごま油、ナンプラー、自家製イカ塩辛などをたっぷり入れていく。味見をしながら、あれこれ少しずつ足していくのがなんといっても楽しい。
最後に、軽く塩もみした大根と人参の細切りと、ニラをどっさり加えて混ぜると、自家製キムチタレの完成!
これを、白菜に丁寧に塗りこみ、まるめて容器に並べていく。
白菜の切れ端にタレをつけてもぐもぐしながらキムチを漬けていると、通りかかったスタッフのクラちゃんがしみじみ言う。
「何が安心って、保存食がたっぷりあるほど安心することないですね」
そうなのそうなの。
北国はこれから寒くて厳しい季節がまた巡ってくる。
畑もすっかり凍りついて、春まで白い世界が続くけれど、保存食があれば安心。
大好きな漬物の季節は、始まったばかりです。
さなえ
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・・・しまった。。キムチは美味しすぎてすぐ無くなりそう。全然保存食じゃなかった!
2011年9月3日土曜日
子ども達に何を食べさせるか
夏が過ぎ、あっという間にもう秋になってしまった。
月日の過ぎ去る早さに驚いてしまう。
何度もブログを覗いては、まだ更新されてない・・・と思って下さっている方に、心からゴメンナサイ。
ありがたいことに、いつものように大忙しの夏がやってきて、その夏も急ぎ足で過ぎていこうとしているけれど、
ありがたいことに、私も子ども達も元気いっぱい。
畑の作物たちも元気いっぱい。
いつもの年以上に、
畑の作物たちが元気であることが嬉しい今年です。
震災の前、というより原発事故の前、私はご飯を作ることも食べることも大好きだった。
加工食品はほとんど買わず、
なるべく家で採れたもの、山で採ってきたもの、近所で採れたもの、
そして、
添加物の入っていないもの、なるべく農薬がかかっていないもの・少ないものを選び、
家族の喜ぶ食事を作るのが好きだった。
けれど今は、「食べる」ことに対する意識の大変革を余儀なくされている。
少し前、セシウムの検出された牛肉が話題になっていたけれど、
まさか、
放射性物質は、東北地方の特定の稲藁の上にだけ降り注いだわけではあるまい。
非常に広い範囲の、
大地、空気、そして海、その全てを汚してしまった。
それがどれほどの恐ろしさであるか、
時間を経るごとにひしひしと感じる。
我が家では、この夏は魚や貝をほとんど食べられなかった。
海の底に沈殿したストロンチウムの量は計り知れず、魚のストロンチウム含有量を調べるのは1検体につき数ヶ月を要する(と説明されている。違っているかもしれない。しかしとにかく検査体制が無い)。
産地で選ぼうにも、魚の「産地」は単に水揚げ港を表示しているだけなのだから、その魚が広い海の一体どのあたりで獲られたものなのか、私たちは推測するしかない。
子ども達が大好きなお肉も、食卓に上がることは少なくなってしまった。
牛肉のセシウム検出のニュースの影で、ひっそりと「豚からも検出」のニュースが伝えられていたけれど、豚肉は、最終的に出荷された土地が「産地」になるのだから、その豚がどこで育ったのか、消費者は知る由もない。
さまざまな情報があって、
それぞれの情報に対する賛否両論の意見と、異なる解釈があって、
意図的にか否かはともかく、明らかになっていない事実がいろいろとあって、
たくさんの、主に利権にからむ思惑が飛び交っている中においては、
何が安全で、何を避けるべきか、それらは全て自分で考え、判断していくほかないのだと思う。
今はまだ、食べても大丈夫な食材も多い。
原発事故前に作られたものを買うこともできる。
外国からきた食材もたくさん並んでいる。
だから、
震災前と同じ食事を、放射能で汚染されていない食材で維持しようと思えば、出来なくはない・・・かもしれない。
けれど、この先ずうっとそうしていけるわけじゃない。
だから、我が家の調理担当の結論としては、
○日々の食事は質素で充分。
○野菜と、玄米時々白米、豆と麩と自家製卵でたんぱく質を補って、
○野菜は自分で育てたもの、隣近所で頂いたもの、近くで育ったものを中心にして、
○お米はこれまで通り、旭川の友人の農家から買い、
○牛乳は、残念だけど今は食卓に乗せられないので、豆乳を使う。
○お肉は、鶏肉か羊肉か鹿肉を、たまに。
○家の裏で釣ってきた川魚は、もちろんありがたく頂く。
・・・ということになった、今のところ。
付け加えておくと、これらは子ども達が食べることを大前提にした基準であって、もし食卓を囲む人が大人だけであったら、食べられる食材はもう少し増える。
この夏は、釧路川の畔も暑い日が多かった。
ずいぶん久しぶりの、晴天続きの夏だった。
おかげで、畑の作物たちも驚くほどぐんぐん成長してくれた。
もちろん、雑草もすくすくだけれど^^
そんな我が家の畑にも、いくばくかの放射能が降り注いでいるのだろうけれど、
それでも自家菜園のある安心感はたとえようもない。
白菜、キャベツ、大豆、イチゴ、ニラ、
ジャガイモ、大根、人参、チンゲン菜、かぶ、ほうれん草、水菜、
インゲン豆、ミニトマト、なす、きゅうり、バジル・・・
それぞれの量は少しだけど、食卓の豊かさというのは見た目の豪華さとは全く違うもの。質素であっても、畑や野からやってきたものは何でも嬉しい。
幸いここには土地と水だけは豊富にあるけれど、
一年の半分は大地が凍っているのだから、野菜を育てられる期間はごくごくわずか。
そして仕事をしながらだと、畑の容量は自ずと限られる。
けれど、たとえ都会のマンション暮らしであってもプランターと土でベランダ菜園が出来るように、たくさんの暮らしの中に大なり小なりの「農」がゆっくりと広がっていくことが、これからの暮らしの常識となればいいなあと密かに願う。
子ども達の健康は、台所に立つ母ちゃん達の手にかかっている。
もっと勉強して、確かな目を持ち、アンテナの精度を高めて、友人達と情報を共有しながら、これからも家族の健康を守っていかなくっちゃ。
北国の、短い実りの季節は今が盛りです。
さなえ
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2011年6月10日金曜日
羊が家にやってきた
5月の終わりに、1頭のかわいい子羊が我が家にやってきた。
きっかけは、昨年末にとうとう始めたツイッター。
「とうとう」と書いたのは、ずっとツイッターを始めることを敬遠していたからで…。
なぜに敬遠していたかというと、たぶん始めたらば、つぶやきを読んだり投稿したりすることで、自分の時間がものすごく減るのではないかと思っていたからであり、また、何をしていても忙しく「ナントカなう~」とかってつぶやいている人に、何か恐ろしささえ感じたりしていたからだった。
けれど実際に始めてみると、あっという間に、140文字で伝える小さな世界にすっかり魅せられてしまった。確かに、放っておくと自分の時間をぐんぐん吸い取られていく実感は否めないけれど、それはそれ、そんなことは予め自分のスタイルを決めて向き合えばいいことで、最初に考えていたよりもうんと楽しくステキな世界が待っていた。
その中でも予想外に嬉しかったのは、今まで会ったことも無い方と、ツイッター上で「会話」ができることだった。ステキなご縁が繋がっていくのは、どんな形であっても心弾むもの。
そのツイッターで知り合ったのが、こちらのそらまめかあちゃん。
十勝の肉牛農家さんなのだけど、犬、馬、羊、ヤギ、ロバ、ジャージー牛などたくさんの動物たちを飼って、自給自足を目指すとってもステキでパワフルなかあちゃん。
このそらまめかあちゃんから、3月の初めに突然1通のメッセージが届いた。
「我が家の羊はペットなので、もしよければ今度生まれたメスの子を飼ってみませんか」
受け取った時は正直、ものすごく戸惑ってしまった。
なにしろ、今まで羊を飼うことなんて全く考えたことがなかったし、それに、そらまめかあちゃんとは何度か「会話」したけれど、会った事もないし、お名前も知らない。羊のことももちろん、何も知らない。
それで一度は「すぐには難しいと思うのです」ってお返事したのだけれど・・・
よくよく考えてみれば、羊を飼うというのは決して悪い話ではない。
それに会った事もない私に、自分の大切な子羊を譲ると言ってくれたその心も、私にとってはとても嬉しいことだった。
そらまめかあちゃんからは、続いて
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ~」「夏の間は青草を食べてくれるので、除草と一石二鳥です」 な~んてステキなメッセージが送られてきて、気持ちはすっかり羊飼いに傾いた。
よし、これも何かのご縁だから飼おう!
そう決めた時には、もう子羊の離乳も終わっていて、あまり心の準備も受入の準備もする間もないままに、あれよあれよと子羊は我が家にやってきたのだった。
そらまめかあちゃんが、十勝の自宅からはるばる連れてきてくれた。
かわいい。
すんごく、かわいい。
羊に与える餌は、草と水だけ。
草と水だけで生きられる草食動物って、今さらながらほんとにすごいと思うのだけど、ほんとに餌は草だけも大丈夫。
羊舎は、以前豚を飼っていた小屋を利用することとし、まだ羊用に改良の余地ありなのだけど、とりあえずは夜と雨の日だけということで、しばらく我慢いただくこととした。
それから、今までは「家畜」に名前をつけたことはなかったのだけど、羊はさしあたって食べる予定もなく、草刈隊として活動してもらう「ペット」の位置づけなので、名前をつけることにした。
子ども達との協議の結果、名前は「メイちゃん」と決まった。
5月(May)にやってきたし、驚いたことに羊って本当に「めぇ~」と鳴くので(!)、協議は紛糾することなくあっさりと済み、羊はめでたく「メイちゃん」とメイメイされたわけで・・・。
メイちゃんの首輪は中型犬用のもの。
羊が来る前にすごく心配していた「首輪が入らなかったらどうしよう…」という心配は、首輪をつけたまま連れてこられたことであっさりと解決。それに倉庫で拾ったロープをつけて、毎日場所を変えながら杭でつなぐ。杭は、先がくるりと輪になったステンレス製の、50センチほどの長さのものを地面に打ち込んで使っている。
さあこれで頼もしい、わっかの草刈り隊員第2号誕生!
のはずだったのだけど・・・
あれ?
そうです。意外に好き嫌いが激しかったのですね。
メイちゃんの好きな草、①たんぽぽ ②よもぎ ③おおばこ(ただし小さくて柔らかいものに限る) ④牧草
わっかの広大な庭は、元飛行場の滑走路。それはまあ、惚れ惚れとするほどに平らでよく草が生えているのですね。けれど、この滑走路部分に生えている緑の草は、推測するに牧草が40%くらいで、残りは一見すると牧草か芝のようだけどよく見るともっと細い、スゲという草(タブン)。メイちゃんはこれがお嫌い。残念・・・。
それから暑いのが大の苦手。そりゃあ全身ウール100%のみっしりとしたセーターを着ているのだから暑かろう暑かろうと思いはするのだが、まだまだ初夏にも届かないほどの心地いい太陽の下なのに、ぐったりしながら小さなバケツの影に頭を突っ込んで動けないでいるメイちゃんを見ると、(夏にはどうなってしまうのだろう・・・)とやや不安でもある。
太陽をしのげる木陰があって、なおかつロープが絡まらず、人間の目も行き届いて、好物の草がふんだんにあるところ。そんな都合のいいところはいかに広いわっかの庭でもなかなかに無いのであって、仕方なし、小さな鎌であちこちの草を刈ってはメイちゃんの前に運ばせていただいたりもしている。
けれど、羊のいる風景はすごくいい。
もうそれだけで、草原の風景はいっぱいだ。
にわか羊飼いは、まだまだ学ぶことが多すぎて、どうにも頼りなげではあるのだけれど、ひょんなことから始まった羊のいる生活も、既に日常のものとなりつつあるこの頃だった。
さなえ
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<そらまめかあちゃんのツイッター>
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2011年5月19日木曜日
土に向かう
震災から2ヶ月、長く続いた母子家庭生活もそろそろ一段落の時が近づいている。
さまざまな草木の芽吹きにあわせて、原野の春は忙しい。
ひとつには畑の準備を始めなくてはならないし、
山菜も採りに行きたい。
冬の間できなかった外の作業があれこれと立ち現れたりもする。
また、子ども達の学校や保育園もそれぞれに新学期が始まって、懇談会や家庭訪問があるほか、いろいろの会合や総会があったりもする。
でも春のあれこれは、長い冬のトンネルを抜けたばかりの生活にはごく新鮮で、どれもこれも嫌いじゃない。
加えて、今年の春は私にとっての新しい作業がいろいろあった。
それは主に畑作業のことで、
これまで原野で暮らして15年の月日が過ぎたのだけど、いつの年だって、
春になる前にあれこれと種を購入する計画をたてて、畑をおこし、畝を切って、種を蒔いていく作業は、そのほとんどががってんの担当だった。
それが今年はどさりと、思いもかけず私の上にやってきた。
さてどうしよう。
3月の中頃は、これから苗を育てるべき温室に、まだ鶏たちが居を構えていたので、まずはこの鶏たちを引越しさせることから始まった。
引越し先の、温室に隣接した本来の鶏小屋を掃除して、エサ箱やら産床やらを移動させ、鶏たちにも引越しいただいた。
それから畑を耕運機で起こしていく。
耕運機はごく小さなもので、がってんに尋ねると
「燃料は『にじゅったいいち』でやってね」
とのこと。
田舎でよく聞く『にじゅったいいち』は、ガソリンとオイルの割合を現したもので、20:1の割合で燃料を混合させて使うという意味だ。
チェーンソーや刈払い機などのエンジン系の機械類はこのような混合オイルを使うことが多く(25:1の場合もある)、私も見よう見まねで混合オイルを作って入れてみた。
畑の端から丁寧に耕運機をかけていく。
私のなまくらな腕で鍬を振るうのとは段違いのスピードとパワーで、みるみるうちにに畑の土が黒々とふかふかと起こされていく。
エンジンの振動を腕に受けながら、どんどん耕されていく畑の土をふみしめて、
耕運機をかけるのは初めての経験ではないけれど、動かすたびに心に浮かぶ一節がある。
四国の愛媛県で自然農法を行なっている福岡正信さんという高名な人がいる。この人は、田を耕さず、肥料をやらず、むろん農薬もかけないで一反の田から十俵ものお米を収穫するという放れ業をやっている人であるが、その人のもとで長い間その自然農法を学んだ友人が、この二年ほどどういうわけか屋久島に住んでいる。<…略…>
昨年、自分の足腰にほとんど自信がなくなり、気力も衰えて、耕うん機の中古でも買うしかないかと思い迷って彼に相談したことがあった。すると彼は言下に
<一番楽な百姓は鍬で耕す百姓である>
と言ってくれた。それを聞いて僕の体の中に深く了解するものがあった。気持としては耕うん機を購入する寸前までいっていて、すでにパンフレットの類などが眼に入りはじめていたのだが、その一言で耕うん機のことは跡形もなく消え去ってしまった。
ーー『回帰する月々の記』 山尾三省著ーー
三省さんのような潔さは、今の私にはとてもとても無いのだから、比較のしようもないのだけれど、三省さんよりうんと年下の私が、猫の額ほどの畑を耕すのに耕運機を使っていることにはやはり罪悪感のようなものを感じてしまう。それでもやはり迷いはなく、耕運機を手に畑に向う。
我が家の畑は、奥の方は黒土でふかふかしているけれど、手前の方は、以前の持ち主の方が砂利を敷いたと思われる部分で、大判小判ならぬ大石小石がざっくざくと出土する、きわめて畑に不向きな土。
けれどこんな土でも、どうにかこうにか作物を育てているうちに、それなりに畑らしくなってきてもいる。しかしまだまだ石は多いので、耕運機の後は石拾い。大きな石が出てくると「おっ!やった☆」と反射的に喜びつつ、「あぁこれがジャガイモだったらなあ」とついつぶやいてしまうのも毎年のことなのだった。
何より急ぐのは温室だから、まずはこの温室の土を耕し、畝を切って、それから小さなポットに土をつめて種をまき、苗を作り始める。
その後、露地の畑を耕し、畝を切り、寒さに強いものだけをまずは植えていく。
霜にやられると困るものは、カッコウが鳴いてからでなくては蒔けないので、ひとまずカッコウ待ちとする。
耕して畝を切った畑は、絵を描く前の白いキャンパスのよう。
ここにこれを植えよう、こっちにこれで、あ、やっぱりあっちにこれだ、、などと畑を見ながら考えている時間は、白いキャンパスを目の前にした絵描きさんのような気持ちでもある。
今まで、どちらかと言えば畑作業は得意じゃなかった。決して嫌いではなかったけれど、楽しくて仕方ないというわけではなかった。心はずませて野に向うというよりは、義務感の方が強かったのだ。
けれど、今年はどうしてかとても楽しい。
少しでも時間が出来たら、気持ちは畑に向いている。
何を植えようか考えてワクワクしたり、芽が出たばかりの小さな野菜たちの様子が気になって、日に何度も何度も様子を見に行ったりして。
まぶしくて優しい、春のお日様が大地を照らしている。
その宇宙の不思議に日々生かされている私たち。
数多の映画にあるように、いつか人類は、汚れてしまった地球を捨てて、宇宙へと向う日がくるのだろうか。水と、空気と、光を手に入れて。
けれど、もしいつの日か宇宙で暮らすことになったとしても、私たちは土を持っていかなくてはならない。この土がなければ、私たちは生きていけない。
でも、そんなこと、できっこない。
この土は地球そのものだから。
かけがえのない、大地そのものだから。
子ども達のために、
澄んだ空気と美味しい水、汚れていない海と大地を残したい。
どのようにしたらいいのだろうかと考えながら、今日も土と向き合います。
さなえ
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追記:
この記事を書いている最中、遅い霜にあたって温室の中のトマトやナスの苗が枯れてしまいました。この時期は温室と言えども霜に気をつけなくてはいけない、日々是勉強です。
2011年3月15日火曜日
震災に寄せて
3月11日、東日本大震災
多くの人が忘れることの出来ない一日。
亡くなられた方と、大切な家族を亡くされた方、
今なお物資の補給を待ち、不自由な生活を強いられている被災者の皆さん、
心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
M9.0の地震とそれに続く大津波、それから原発事故、
どれか一つだけでも大変なことであるのに、これが一度に起こってしまった。
地震と津波は天災だけど、原発事故は明らかに人災。
こうなる前に原発を止められなかった、建設を止められなかった、
全ての大人に責任がある。
子ども達に、
心からごめんなさい。
どこを見ても心痛むことばかりだけれど、
小さな希望の光を見つけながら、少しずつ少しずつ歩いていこう、
今、私たちは生きているのだから。
書きたいことはたくさんあるのだけれど、
今日は、田中優さんからのメッセージを添付することにしました。
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「2011年3月15日、今日から空気は危険になる?」
とにかく落ち着いてから動きましょう。何かする前に、大きく
深呼吸してから。そして睡眠や食事をサボると判断が鈍りますか
ら、必要なことは欠かさないように。
東京に来るかもしれない放射能
いよいよこの日が来てしまったと思う。原発に反対して23年、
いつかはこうなると思っていた事態に直面する。でもまだこれが
最悪ではない。もし核爆発を起こせばもっと悪い事態になる。子
どもを授かったばかりの女の子から相談があった。たぶんいい歳
なんだと思うけど、小学生のころから知っていたから今もぼくか
らは子どもに思える。どうしたらいいのか、と。
ぼくは昨夜メールした。「今まで風は海に吹いていた。でもい
よいよ北風に変わった。しかも放射能の排出濃度が高まってきた。
悪いことに今日から雨になる。対策しないといけない」と。「可
能なら旅行のつもりで落ち着くまでどっか西に(日本は偏西風地
帯なのでおおむねの流れは西風だ)出かけるといいんだけどね。
無理だったら雨には当たらず、可能な限り厚いマスクしてから外
出してね」と。でもあわてなくていい。東京までの距離は約220
キロメートル。風速3メートル程度であったなら、届くまでに18
時間かかるのだから。
放射性ヨウ素131を避ける
核爆発は起こしていない現時点では、福島原発周辺の風も弱か
ったので気体以外はほとんど飛んでこないだろう。中でも気にし
なければならないのはヨウ素131だ。これは甲状腺に貯められて
ガンなどを引き起こす。吸い込むだけで吸収する。もともと大事
な元素で自然界には「放射性」のヨウ素なんかなかったから、生
物は無警戒に体内に集めてしまうのだ。特に子ども、胎児に影響
するので採らせたくない。そのためには先に甲状腺を放射性でな
いフツウのヨウ素で満たしておきたい。そうすれば排泄される確
率が高くなるからだ。
本当は「安定ヨウ素剤」がいい。人々が入手できずにいるのに
『専門家』なる人たちはこう言う。「医師が処方するものです。
原子力災害などの緊急時に、指定された避難所などで服用指示が
あった場合のみ、服用してください」と。
東京に流れてくる可能性があるのに、それだけの備蓄があるの
かと聞きたい。『専門家』なるものは、見殺しにする専門家なん
だろうか。でも、他のもので代替しようとすると副作用もある。
40を超える年齢には効果がないとも。だから『医食同源』で考え
るしかない。病院で甲状腺の検査をするときには、その前一週間
は海藻類を食べないように指導するそうだ。つまりその分が影響
する。ならばそれで防ぐしかないだろう。食べすぎれば問題だが、
ところがこの「ヨウ素を採るべき」という話を「ネットでのデマ」
としているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/touch/20110312/p1
いつまで気にしなければならない?
しかしヨウ素131が分解して放射線を出して安定し、半分に減る
までの期間は8日だ(これを半減期という)。8日ごとに半分に
減っていくから、もし一日で放射能が届かなくなるなら80日間経
てば千分の一以下に減る。つまり80日間だけ、放射能の入ってい
ないヨウ素の入った自然のものを、食べ過ぎない程度に、子ども
たちには多めに食べさせるようにしよう。その間に周囲は千分の
一以下の放射性ヨウ素に下がっているはずだからだ。
しかし核爆発が起きたら、しかも風向きがこちらに向くなら、
たくさんの長寿命の放射性物質に囲まれることになってしまう。
今回排出されたひとつは放射性セシウムだった。これは半減期が
30年を超える。子宮や筋肉に集まる。放射性ストロンチウムでは
骨に集まる。そこでガンなどを引き起こすのだ。しかし千分の一
以下に減るには300年以上かかってしまうのだ。半減期は厄介な
問題だ。福島第一発電所の三号機のプルサーマル燃料として使わ
れているプルトニウムでは、半減期が2万4千年もある。だから
放射能と生命は共存できないと主張してきたのだ。
今朝のニュースの第一、二号炉の爆発はまだ核爆発ではない。
これまで破られていなかった格納容器内での爆発だから、放射能
を多く含んだ煙を排出しているものの、それは核爆発ではない。
「絶対安全」と言い切ってきた推進派、電力会社に責任を取って
もらおう。
みんなで被害も分かち合う
「だから東北産の食品は食べない」というのは正しくない。降
り注いだだけなら水で洗い流すことができるからだ。しかし約一
カ月経つと食品の中に栄養素として入り込み始める。だから当面
は変わりなく洗って食べていればいい。その後は濃縮される率が
問題になる。植物は濃縮度が低く、食物連鎖の上位(例えば肉や
卵)にいけばいくほど高くなりやすい。
しかしそれ以前に、東北の人たちにだけこの被害を押しつける
のはおかしくないか。ぼく自身を含めて現実に止められなかった
のだ。だからもし被害を受けるなら(原発をこれまで推進してき
た人は相応の責任取るべきだが)、人々全員で等しく引き受ける
べき被害ではないか。ましてや海外の貧しい国に送ってはいけな
い。過去に貧しい国に輸出されてしまった例もたくさんあるのだ。
しかし子どもたちだけは守らなければいけない。親が汚染した
ものを食べて、子どもたちにだけはなるべく安全なものを届ける
べきだ。
生きなおすために
原発内部の燃料が冷えるには約三カ月かかると言われている。
そうならあと三ヶ月間は心配しなければならない。それまでは爆
発やメルトダウンの危険性があるのだから。そして空に飛散した
放射性物質は、雨とともに降り注ぐ。だから風向きと雨次第で放
射能が土地に濃く残ったり、ほとんど残らなかったりする。しか
しその被害を受けているのは私たちだけではない。ボスニア、イ
ラク、アフガニスタンに、たくさんの放射性物質「劣化ウラン弾」
を浴びせてきた。原子力の開発のために放射能汚染された大地は、
世界中に数え切れないほどだ。私たちはこれほど地球を生きられ
ない場所に変えてきたのだ。
明日から変わろう。汚染するのではなく生かせるように、壊す
ためではなく新たなものを作るために生きよう。この悲劇が、あ
の時点から変わったと言える変換の時にできるように。今日から
は徹底してほしい。外から帰ったら、家に入る前にマスクをした
まま埃を落とそう。
もし風で届くなら、昨日までとは違う世界に生きなければならな
いのだ。
<転載ここまで>
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「余震と火災がやまないけれど、悪夢の日ではない、
長い復興の道に踏み出した、最初の日なのだろう」
被災した河北新報の記者が、震災の翌日に寄せた記事です。
私たち一人一人が、
核の無い世界、原子力に頼らない生活、助け合う社会、
これを強く願えば、
きっと、世界は変わる。
さなえ
www.wakka.biz
www.twitter.com/sanae_kinase
2011年2月24日木曜日
そばがき
少しずつ少ぅしずつ進めている郷土料理の聞き書き。
今回は、生まれも育ちも川湯温泉のSさんに、昔よくお母さんに作ってもらったという「そばがき」を教えていただいた。
ふつう、そば粉を熱湯で練ったものをそばがきという。粉を湯で練ることを「かく」というから、そばがき。
けれど、このたび教えて頂いたのは想像するそばがきとはちょっと違う。 まず用意するのはささがきにした人参とゴボウ。
これを煮立たせたそばつゆ(煮干ダシ+醤油、砂糖)でさっと火を通す。
歯ごたえがなくならないように、サッと煮るのがポイントで、そこへふるったそば粉を入れて、粉っぽさがなくなるまで練り上げたのが、Sさん特製のそばがき。 「昔は砂糖は貴重品でね、普段の食事なんかには絶対使わなかったの。砂糖の代わりに使ったのが、今でいう人口甘味料。煮物には『ズルチン』、煮ないものには『サッカリン』という風に使い分けてね。今の人は『ズルチン』なんて知らないでしょう」
…ズルチン。なんか痛そう。
「出汁はね、私のとこでは煮干ダシを使っていたけれどね、何でも大丈夫よ」
作ってみると本当にあっという間に出来上がり。ふつうのそばがきとは違って、具が入っていて、味がついているから、これ一品だけでお昼は大丈夫。
昔は、大きなお鍋にたくさん作って、皆で取り分けていただいたという。
「あのね、今食べると特段美味しいものではないけれど、昔はこれしか無かったのよ」
写真左がそばがき、右は同じく戦時中によく食べていたという塩ゆでジャガイモ、奥は以前の聞き書きで覚えたたらし団子。
素朴な味のそばがきは、そば粉の香りがとってもいい。
それとビックリしたのはとっても腹持ちがいいっていうコトで、小鉢に盛ったそばがきは、それほど大盛りじゃなかったのに、食べ終わったらもうすっかりお腹いっぱい。
でもね、栄養と腹持ち。これが戦時においては何よりのご馳走なのであって、ここには子を思う母の優しい気持ちが込められているのだと、しみじみ感じる味だった。
他にも、たった一度だけ配給になった「どんぐりの粉」のお話や、藁のストローで採取したメープルシロップ、農家の娘さんに危うく(!?)食べさせられそうになった「干しヘビ」のことなど、戦時の川湯の食糧事情を笑顔でお話くださったSさん。
お金を出せばなんでもそろうと錯覚しがちな現代に、やっぱり昔のお話は今聞いておかなければと改めて思う。
おばあちゃん達のお話からは、すごく大切なことを教わっている。
ありがとう。
さなえ
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2011年2月12日土曜日
農に出会う
先日、長野にて農業を営むガッテンの古い友人が、初めてこの地を訪れてくださった。
農楽里ファーム(のらりふぁーむ)の遠藤さん母娘と、農楽里ファームの映像も撮っている株式会社水の和の高須さん。
3人がいらした日は、晴天続きの釧路川の畔では珍しい、あいにくの吹雪模様。
けれど、初対面とは思えない親しみを感じられる遠藤さんのステキなおしゃべりで、藁の家はあっという間に暖かに。
外の吹雪を見ながら、このお天気もきっと何か意味があることなのだと感じた。
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農楽里ファームは、信州の湧水流れる山村の小さな集落にあります。
澄んだ空気、白馬三山と戸隠連峰を望む棚田、昭和の風情を残す古民家・・・
ゆったりと流れる時間・・・
夜は真っ暗闇に・・夜空には天の川
田んぼにはカエルにイモリにホタルに赤トンボ・・・
タイムスリップするような懐かしい未来がここにはあります。
そして、大切なお約束・・
皆様の健康と笑顔のために、「いのち」をつなぐ「いのちあるもの」をお届けしたいから・・
農楽里ファームの作物は、全て農薬や化学肥料を使わない自然に寄り添った農法で、心をこめて大切に育てています。
(農楽里ファームのHPより)
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いらしてくださったその晩は、夕食を作り、皆で食卓を囲みながらお話会となった。
食卓に並んだメニューはこんな感じ。
・農楽里ファームで収穫されたササニシキのちらし寿司、
・地場産の根菜たっぷりのお味噌汁、
・集落の農家さんが作った小粒の珍しいジャガイモ(インカのめざめ)の揚げ芋、
・お土産に頂いた沖縄の海ブドウと自家製バジルペーストのカナッペ、
・越冬キャベツの和え物
・自家製卵の千種焼き
アルプスに囲まれた里山の風景の中で、棚田で作ったお米。
頭の中には美しい情景が広がるけれど、実際の農作業の忙しさや苦労はタブン私の想像を超えているはずで、憧れだけでできるほど易しい作業ではないはず。けれど、この地に就農してたった6年で、農楽里スタイルをしっかりと作り上げたその力はどこからやってくるのかしら。
でも一緒に夕食を作りながら台所で話した遠藤さんは、どこまでも優しくて、場所は違えども雪国・北国のかあちゃん同士、相通じるものがあり。
しっかりと先を見据えれば農に行き着くことはごく自然なことに感じたし、その力がやってくる源は、きっと「愛」なんだなーと私なりに思うところがあった。
ところで、台所でもりあがったのは、
「北国暮らしはお金がかかる」
ということ。
お金に頼らない暮らしがしたいと願っても、北国暮らしにはなかなか厳しいのが実情。
保育園の送り迎え、日々の用事、全て車がなければ始まらない「超クルマ社会」。
他にも、寒さを迎えるための家の断熱、暖房、服、靴、雪かき道具…
さまざまな負担が、北国で暮らす民に重くのしかかっている。
これは雪国である長野でも同じらしく、北に住むということは、それだけで南の方々とはスタートの位置がだいぶ違うのだ。
ま、そのことはともかく。
農楽里ファームでは現在、40~50種類の作物を育てている。自然に寄り添って暮らす日々が思いがけない多くの苦労と喜びを運んできてくれるのだと、しみじみ感じるお話会だった。 お話会の翌日は、澄み渡った青空。
この青空のために、昨日は吹雪模様だったのかもしれないと思うほどの青空。
帰り際、農楽里ファームのDVDをお預かりした。
ほんの少しだけれど、わっかでも販売させて頂くことを嬉しく思う。
『生命活性化にかける夢舞台』
カラー41分/定価1,450円(税込・送料別)
DVD特典付
問合せ: info@wakka.biz
田植えから稲刈りまでを密着取材したドキュメンタリーDVD。書ききれなかったお話会の内容も、これを観れば伝わるように思う。ぜひ多くの方に見て頂ければ嬉しい。
でも私思うのだけど、これから先、家庭菜園がものすごくブームになるかもしれない。
皆が食に関心を持ち、農に関心を持つということは、全てにおいていいことのように思う。
明るい未来のイメージが湧いてきた。うん。
遠藤さん、高須さん、あやのちゃん、ありがとうございました!
またお会いできる日を楽しみにしています。
さなえ
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2011年1月22日土曜日
お風呂の「卒業」
連日、寒い日が続いている。
シーズンの最低記録は-30℃にも届くことがあるこの地であれば、‐20℃くらいは驚くに値しない。けれど、やはり寒いものは寒いのであって、限りなく氷点下に近い台所で食事を作っていると、いつの間にか歯や肩が痛くなってきたりする。それはどうも、自分でも気がつかぬうちに奥歯を噛みしめていたり、肩をすくめていたりするからだと、最近気がついた。
けれど、どんなに寒い台所であっても、靴を脱いで居間への扉をくぐりぬければ、そこには薪ストーブの熱がすみずみまで行き届いた暖かな空間があり、子ども達の歓声が響いている。
この小さな暖かな空間に、いつでも逃げ帰ることができるから、少しくらい寒いところがあっても平気なのだと思う。
だから、決して寒さには強いとは言えない私でも、寒さが嫌いかと言うとそれは断じてチガウ。
よく冷えた朝のぴーんと張り詰めた空気や、風の無い日の耳が痛くなるほどの静けさ、天から舞い降りてきたような儚い樹氷、まるで生き物のように凍てついた道路を這い回る雪けむり、ひとつひとつの風景がいつの間にか大切に切り取られて、私の心の美術館に蓄積されている。
凍えるような寒さの夜、冷えた身体を温めてくれるのは、薪ストーブとお風呂。
だが、我が家にはもう15年来お風呂が無い。
そんな我が家のお風呂は、10km先の屈斜路湖のほとりの温泉、通称「Kセンター」。それはもう見事なまでに素っ気ない行政的建物の中に、5人も入ればぎゅうぎゅうの浴室が2つあって、夜は9時まで住民のために開放されている。
そして特筆すべきはここが無料であることであって、家族全員が同じ時間に入浴できることもありがたい。
この魅力的な施設があるおかげで、何度となく浮上している「お風呂作成計画」は、いつの間にか立ち消えになっている。
この「Kセンター」の温泉は、住民のための施設と言うこともあり、見知らぬ人に出会うことはまず無い。けれど、お互いが気持ちよくお風呂を使うために、掲示されていないローカルルールがいくつかあって、その中にひとつに「男の子は、小学生になったら男風呂に入る」というのがある。
我が家でもこのルールに則って、ガッテンと小6の長男が男風呂、私と年中さんの次男が女風呂に入っていた。しかし数ヶ月前に、突然「今日は男風呂に入る」と言い出した次男は、一度出て行ってしまうと、もう次から女風呂に入ることは無くなった。
たまには一人でゆっくりお風呂に入りたいなぁ~とあれほど思っていたのに、何か手持ち無沙汰だ。誰もいないから静かだし、あっという間に身体も洗い終わって、湯船にじっっっと入っているのも退屈だ。
ああ、男風呂は賑やかだろうなあ…
次男の「卒業」で静かになったお風呂で、子ども達の成長を感じるこの頃だった。
「Kセンター」は住民のための施設だから誰でもと言うわけにはいかないけれど、屈斜路湖の畔には他にも温泉がたくさんある。
ほんのわずかの距離でも泉質が違い、温泉好きには天国だという。
明日からわっかでも冬のプログラムが始まる。
山や森で心を開放した後は、ゆっくり温泉に浸かって温まっていってほしいなと思う。
さなえ
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★追伸:
来る2月7日、農と未来について考えるステキなお話会を開催します。
ぜひ皆でゆんたくしましょう! >>詳細はコチラです。
2011年1月15日土曜日
小さなジチカイ
私の住む弟子屈町には、全部で36の自治会がある(たしか)。
その中でいちばん小さな自治会が、ここ札友内自治会だ。
小さな、というのはむろん面積ではなくて、世帯数のことであって、
札友内自治会は、加入世帯18戸で、面積こそ広いがダントツの最少自治会だ。
自治会の役割はいろいろあると思うのだけど、都市と農村ではその意味合いもだいぶ異なるのではないかと思う。
ここでは、一軒一軒の家は遠く離れていることも珍しくないけれど、家々の結びつきは都市よりは深い。ことに自然環境の厳しい場所であればなおさら、困った時にはお互い様、隣人の存在が何よりありがたかったりもするのだ。
自治会に入っていると、町の広報誌が、自治会の役員により毎月届けられる。新年と春には、それぞれささやかな宴も催される。誰かが亡くなった時には、全員でお通夜と葬儀のお手伝いをして、送り出す。幸い、まだ利用したことはないけれど、災害時には集落の会館を避難所として利用することも想定されている。
「めんどくさい」の象徴のようにも言われる自治会活動だけど、やっぱり小さな集落には大切なことでもあって、田舎暮らしには欠かせない。
その自治会で、昨年の初めより我が家が副会長を仰せつかっている。
副会長、と言っても「会計」と「事務局」を兼務しているのであって、いわば「なんでも雑用係」だ。だから当然と言えばそれまでなのだけど、さまざまやることが多いのに驚きっぱなしだ。
前述の集落会館の管理、通帳や出納簿の管理、あれやこれやの買出し、総会議案の作成、いろんな会合への出席などなど。今まで誰かがやってくれていたことがいかにありがたかったか、しみじみ感じてしまう。
今週、大仕事の「自治会総会」が終わった。
議案の作成や印刷、ご馳走や飲み物、お菓子の手配も滞りなく済み、誰よりも私がほっとしている。。。
それで、この自治会では、他の自治会とは違っていることがひとつあって、
役員の任期は2年!ということ。
…ということは、ということは、まだあとたっぷりと1年あるということ!
それから、会長・副会長は、その次の任期では監事を務めることが決まっていて、
…ということは、あとまだたっぷり3年は役員が残っているということであって。
それでもって、世帯数18戸のうち、役員6戸なのだけど、高齢や処々の事情などで役員を務めることができない家庭を除くと、また多分すぐに役員が廻ってくるということであって。
学び多き役回りを楽しんではいるのだけれど、、、
あと10軒くらい引っ越してきてくれないかしら~…
などと夢見たりするこの頃なのでした。
さなえ
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2011年1月9日日曜日
若水から始まる一年
新しい年が始まって、もう一週間も経ってしまったのだけど…
あけまして おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、私の2011年は、朝起きて一番に井戸の前まで行き、「若水」を汲むことから始まった。
本当は、水を汲むまでは誰とも話さないのが決まりなのだけど、布団の中で子ども達に話しかけられて、無視するわけにもいかないのでいろいろ話してしまい…ま、そこのところは目をつぶって頂くことにして…。
風の強い朝だったけれど、雪に埋まりつつ井戸の前まで歩いていき、新年のご挨拶をしてから汲ませて頂いた。
元旦の朝に井戸から汲んだ「若水」は邪気を払う力があると言われている。
私たちも順番に頂き、もうすぐ赤ちゃんが産まれる友人にも届け、これでいい一年が過ごせそうな気がした。
個人的にも、この「若水を汲む」ことが一年の始まりであったことは、とても意味がある。
昨年より、この町の今後10年の進む方向を決める「総合計画」の策定審議委員を仰せつかり、今までに何度か町の将来について意見を述べる機会を頂いていた。
難しい10年だと思う。
今8000余人のこの町の住民が、10年後には一体何人になっているのか。
人口減、若者の流出といった過疎化の問題を抱える市町村はいずこにもある。けれど、この町には、豊かな自然環境がまだ残されていて、これを次の世代に残さなくてはならない。それだけは、必ずやらなくてはならない。
しかし、今道内の他市町村では、水源地の森が失われていく事態に直面している。
いずれ世界では水の争奪戦が起こると言われている。先を見越した外国資本が、水源地を買い漁っている。
弟子屈町にとっても、対岸の火事では決してない。
国有林を含む多くの森をかかえる弟子屈町だけど、もちろん「問題」は外資だけではない。
生活苦あるいは資金難から、所有する森を売る人も多い。
外資が森を買うこと、あるいは、民有林を売ること、これらを規制する条例は、今のところ何も無いのだ。
水を守ることは、森を守ること。
森を守ることは、暮らしを守ること。
だから、水を守りたい。
摩周湖、屈斜路湖、釧路川、数え切れないほどの源泉、井戸、湧き水、
ここが「水がめの町」であることは、川づくりを考える活動の中でいやと言うほど思い知らされた。
出来ることは小さなことかもしれないけれど、
少しずつ、少しずつ、
一歩ずつ、一歩ずつ、
前に向かって歩く年にしようと思う。
今年もたくさんの出会いを楽しみに、北の大地から小さな声を発信していきますね。
さなえ
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2011年1月1日土曜日
大晦日に。
一年で最後の日、大晦日。
数日前からお菓子屋さんの店頭にも
「口取りあります」
という張り紙をちらほら見かけるようになり、年の瀬を実感する。
「口取り」というのは、北海道独特の郷土菓子で、おせち料理などを模した縁起物のお菓子で、宝船や松竹梅などを模したものもある。
この「口取り」は、残念ながら一度も伺う機会がなかったので、どのようにして頂くものなのか、お供えするのか否かを含め謎だらけである。今度誰かに聞いてみようと思う。
大晦日の夜は、北海道ではご馳走を頂く慣わしだ。一年無事に過ごしてこれたことに感謝をして、「年取りの膳」を華やかに用意する。
初めてこちらでお正月を迎えた時には、大晦日のスーパーの特設コーナーにずらりと並べられたご馳走やお寿司、焼肉やすき焼きの食材などに圧倒された覚えがあるけれど、今ではすっかりお馴染みの光景となっている。
考えてみれば、大晦日の夜の食卓については、幼い頃の記憶も曖昧で、特にご馳走を頂くという習慣もなく過ごしていたように思う。けれど、確かに一年を無事に過ごせたということは、新しい年を迎えるということと同様におめでたいこと、ありがたいことであって、数年前から我が家も北海道式に、大晦日の夜は一年に一度の「すきやき」と決めて過ごしている。
そして、すきやきを食べることに決まっているというのは、献立を決める必要もないし、準備もそれほど要らない。おせち料理を作ったり、まだ残っている大掃除を片付けたり、あちらこちらにご挨拶したり、何かと忙しい大晦日にはぴったりの食事なのでもあった。
今年も、窓の外の雪を眺めながら、一年無事に過ごせたことに感謝して、ささやかなお祝い膳で今年を締めくくろうと思う。
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今年も多くの方にお世話になりました。
ありがとうございました。
皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。
来年もステキな年になりますように。そして、またどうぞよろしくお願い致します。
さなえ
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