震災から2ヶ月、長く続いた母子家庭生活もそろそろ一段落の時が近づいている。
さまざまな草木の芽吹きにあわせて、原野の春は忙しい。
ひとつには畑の準備を始めなくてはならないし、
山菜も採りに行きたい。
冬の間できなかった外の作業があれこれと立ち現れたりもする。
また、子ども達の学校や保育園もそれぞれに新学期が始まって、懇談会や家庭訪問があるほか、いろいろの会合や総会があったりもする。
でも春のあれこれは、長い冬のトンネルを抜けたばかりの生活にはごく新鮮で、どれもこれも嫌いじゃない。
加えて、今年の春は私にとっての新しい作業がいろいろあった。
それは主に畑作業のことで、
これまで原野で暮らして15年の月日が過ぎたのだけど、いつの年だって、
春になる前にあれこれと種を購入する計画をたてて、畑をおこし、畝を切って、種を蒔いていく作業は、そのほとんどががってんの担当だった。
それが今年はどさりと、思いもかけず私の上にやってきた。
さてどうしよう。
3月の中頃は、これから苗を育てるべき温室に、まだ鶏たちが居を構えていたので、まずはこの鶏たちを引越しさせることから始まった。
引越し先の、温室に隣接した本来の鶏小屋を掃除して、エサ箱やら産床やらを移動させ、鶏たちにも引越しいただいた。
それから畑を耕運機で起こしていく。
耕運機はごく小さなもので、がってんに尋ねると
「燃料は『にじゅったいいち』でやってね」
とのこと。
田舎でよく聞く『にじゅったいいち』は、ガソリンとオイルの割合を現したもので、20:1の割合で燃料を混合させて使うという意味だ。
チェーンソーや刈払い機などのエンジン系の機械類はこのような混合オイルを使うことが多く(25:1の場合もある)、私も見よう見まねで混合オイルを作って入れてみた。
畑の端から丁寧に耕運機をかけていく。
私のなまくらな腕で鍬を振るうのとは段違いのスピードとパワーで、みるみるうちにに畑の土が黒々とふかふかと起こされていく。
エンジンの振動を腕に受けながら、どんどん耕されていく畑の土をふみしめて、
耕運機をかけるのは初めての経験ではないけれど、動かすたびに心に浮かぶ一節がある。
四国の愛媛県で自然農法を行なっている福岡正信さんという高名な人がいる。この人は、田を耕さず、肥料をやらず、むろん農薬もかけないで一反の田から十俵ものお米を収穫するという放れ業をやっている人であるが、その人のもとで長い間その自然農法を学んだ友人が、この二年ほどどういうわけか屋久島に住んでいる。<…略…>
昨年、自分の足腰にほとんど自信がなくなり、気力も衰えて、耕うん機の中古でも買うしかないかと思い迷って彼に相談したことがあった。すると彼は言下に
<一番楽な百姓は鍬で耕す百姓である>
と言ってくれた。それを聞いて僕の体の中に深く了解するものがあった。気持としては耕うん機を購入する寸前までいっていて、すでにパンフレットの類などが眼に入りはじめていたのだが、その一言で耕うん機のことは跡形もなく消え去ってしまった。
ーー『回帰する月々の記』 山尾三省著ーー
三省さんのような潔さは、今の私にはとてもとても無いのだから、比較のしようもないのだけれど、三省さんよりうんと年下の私が、猫の額ほどの畑を耕すのに耕運機を使っていることにはやはり罪悪感のようなものを感じてしまう。それでもやはり迷いはなく、耕運機を手に畑に向う。
我が家の畑は、奥の方は黒土でふかふかしているけれど、手前の方は、以前の持ち主の方が砂利を敷いたと思われる部分で、大判小判ならぬ大石小石がざっくざくと出土する、きわめて畑に不向きな土。
けれどこんな土でも、どうにかこうにか作物を育てているうちに、それなりに畑らしくなってきてもいる。しかしまだまだ石は多いので、耕運機の後は石拾い。大きな石が出てくると「おっ!やった☆」と反射的に喜びつつ、「あぁこれがジャガイモだったらなあ」とついつぶやいてしまうのも毎年のことなのだった。
何より急ぐのは温室だから、まずはこの温室の土を耕し、畝を切って、それから小さなポットに土をつめて種をまき、苗を作り始める。
その後、露地の畑を耕し、畝を切り、寒さに強いものだけをまずは植えていく。
霜にやられると困るものは、カッコウが鳴いてからでなくては蒔けないので、ひとまずカッコウ待ちとする。
耕して畝を切った畑は、絵を描く前の白いキャンパスのよう。
ここにこれを植えよう、こっちにこれで、あ、やっぱりあっちにこれだ、、などと畑を見ながら考えている時間は、白いキャンパスを目の前にした絵描きさんのような気持ちでもある。
今まで、どちらかと言えば畑作業は得意じゃなかった。決して嫌いではなかったけれど、楽しくて仕方ないというわけではなかった。心はずませて野に向うというよりは、義務感の方が強かったのだ。
けれど、今年はどうしてかとても楽しい。
少しでも時間が出来たら、気持ちは畑に向いている。
何を植えようか考えてワクワクしたり、芽が出たばかりの小さな野菜たちの様子が気になって、日に何度も何度も様子を見に行ったりして。
まぶしくて優しい、春のお日様が大地を照らしている。
その宇宙の不思議に日々生かされている私たち。
数多の映画にあるように、いつか人類は、汚れてしまった地球を捨てて、宇宙へと向う日がくるのだろうか。水と、空気と、光を手に入れて。
けれど、もしいつの日か宇宙で暮らすことになったとしても、私たちは土を持っていかなくてはならない。この土がなければ、私たちは生きていけない。
でも、そんなこと、できっこない。
この土は地球そのものだから。
かけがえのない、大地そのものだから。
子ども達のために、
澄んだ空気と美味しい水、汚れていない海と大地を残したい。
どのようにしたらいいのだろうかと考えながら、今日も土と向き合います。
さなえ
www.wakka.biz
http://twitter.com/sanae_wakka
追記:
この記事を書いている最中、遅い霜にあたって温室の中のトマトやナスの苗が枯れてしまいました。この時期は温室と言えども霜に気をつけなくてはいけない、日々是勉強です。
0 件のコメント:
コメントを投稿