晴れた気持ちのいい冬の日の朝。
一本の電話が鳴った。
つっちー家からの電話。
「羊一頭買ったんだけど、ちょっと量が多いので、シェアしませんか」というお誘いだった!
共通の知人でもある、羊を飼っているIさんのお宅で2頭の羊を屠殺して、そのうちの1頭がつっちー家の割り当て分なのだそうだ。
最近、お肉にはご無沙汰の私たちでも、こんな機会はなかなかないので、喜んでシェアすることに決めた。
電話の後、すぐに上着を着て走ること車で15分、Iさん宅に急行する。
毛皮を剥いで、頭を落とし、内蔵を抜いた状態の枝肉は、全部で30kg。どさりと車に積み込み、解体場所(わっか)へ。
どーんと大きな枝肉をテーブルに盛大に置く。まな板と、包丁と、ビニール袋を用意する。
「・・・」
「・・・・・・。」
どこから、どうしたらいいの??
あいにく、解体に慣れたガッテンは氷上の人で留守。仕方がないので豚を解体した時の様子を思い浮かべながら、包丁を入れていく。
思い浮かべながらと言っても、豚の時は、プロのお肉屋さんが手伝ってくれたので、私はほとんど見ているだけだった。はいロース、これがバラ肉、はいこれが外モモ、こっちがシンタマね、と、次々渡されるお肉を袋に詰めるだけの人だった。
でもとにかく解体に立ち会ったのは私だけなのだから、お肉屋さんの手つきを思い出しながら、さびついた記憶の箱をガタガタと引っ張りだしながら、少しずつ解体作業は進んでいった。
大人3人がかりで2時間かかって、1頭の羊さんはたくさんの小さな羊肉のブロックとなった。昨日の朝までは生きていて、メェーメェー鳴いていたコヒツジは、今はこうしてお肉のかたまりとなってテーブルに並んでいる。
食べるということは、命を頂くこと。
北の国に住んでいると、こうやって「命を頂く」をダイレクトに実感する機会がよくある。
お肉を食べるということは、今の日本ではほとんど「家畜」を食べるということ。
家畜を食べるということは、家畜が食べている飼料を輸入したり生産したりするということ。
だから、最近の我が家ではお肉が少ない。
でも北の国では、こうやって自分の家で育てた羊や豚、そして野生の鹿を頂いて食べる機会も多い。 我が家にやってきた骨付きの子羊は、大きなお鍋で水からコトコト煮込んで、モンゴル風・羊の塩煮「シュゥパウロー」になった。大きな玉ねぎやジャガイモも丸のままごろごろと放り込んで、しみじみと温かいシュゥパウロー。
「お肉!」
「お肉!!」 と大喜びの子ども達。
羊さん、ありがとう。
ご馳走様でした!
さなえ
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2009年2月3日火曜日
肉を食べるということ
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